コラム

清武弘嗣選手が経験した苦い全少での思い出と父の熱き教え【前編】

2013年07月08日

日本代表やドイツ・ブンデスリーガで活躍を続ける清武弘嗣選手(ニュルンベルク)は、小学生時代、大分県の明治北SSCの一員で全日本少年サッカー大会の決勝大会に出場した。チームを全国3位に導いた清武選手であるが、いまも忘れられない当時の記憶がある。今回は、その清武選手のかつて経験した全少の思い出からプロに駆け上っていくまでを、彼を支えた家族や指導者のお話とともに紹介していく。

文●元川悦子 写真●フットボールチャンネル編集部 工藤明日香

 


 

本田圭佑選手も認める清武選手の技術

真夏の札幌ドームのピッチに、背番号11をつけた新戦力が姿を現した。

2011年8月11日の日韓戦。岡崎慎司(シュツットガルト)が負傷交代を強いられた前半36分、アルベルト・ザッケローニ監督が呼び寄せたのは、成長著しい21歳のアタッカー・清武弘嗣だった。

清武は1週間前の札幌合宿で日本代表に初招集されたばかり。ザックジャパンの戦術も十分に理解していなかった。が、イタリア人指揮官は高度なボール技術とゴール前へ飛び出す鋭さを併せもつこの若者に目をつけ、迷うことなく試合に送り出した。

その若者は、大舞台で見る者を驚かせるパフォーマンスを連発する。

後半開始早々の8分、日本にとって2点目となる本田圭佑(CSKAモスクワ)のゴールをアシストしたのが、衝撃的デビューの始まりだった。2分後には正確無比のクロスで香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)の3点目をお膳立て。自らも決定的なシュートを何本か放った。国際Aマッチデビューの21歳の男が2得点に絡み、永遠の宿敵・韓国を3対0で一蹴する原動力になったのだから、サプライズ以外の何物でもない。

「清武君はホントによかった。若くて技術のある選手が増えてきたよね」と本田に言わしめるほどの強烈なインパクトを残し、彼は瞬く間にスターダムを駆け上がったのである。

ザック監督も「清武は若いのに非常に安定感の高いプレーをする」と絶賛。その後も日本代表の重要なピースとして使いつづけている。近い将来、日本の看板アタッカーになるとの呼び声も高い。その片鱗を、清武は子どもの頃から垣間見せていたという。

小学生時代の彼を指導した明治北SSC時代の恩師・新庄道臣総監督は「弘嗣はもっと早く代表になっていい選手だった。出てくるのが遅すぎたくらい。子どもの頃からカミソリみたいなキレがありましたからね。今の技術も8割くらいは小学生時代にできあがっていました。五輪代表でも2列目から飛び込んでヘディングシュートを決めるシーンがありましたが、そういうのは当時から当たり前のようにやっていました」とキッパリ言い切る。

 


 

僕らがサッカーボーイズだった頃
プロサッカー選手のジュニア時代

香川真司、岡崎慎司、清武弘嗣……
『プロ』になれた選手には、少年時代に共通点があった!
本人と、その家族・指導者・友人に聞いたサッカー人生の“原点”

【著者】元川悦子
【発行】株式会社カンゼン

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