コラム

清武弘嗣選手が経験した苦い全少での思い出と父の熱き教え【後編】

2013年07月11日

日本代表やドイツ・ブンデスリーガで活躍を続ける清武弘嗣選手(ニュルンベルク)は、小学生時代、大分県の明治北SSCの一員で全日本少年サッカー大会の決勝大会に出場した。チームを全国3位に導いた清武選手であるが、いまも忘れられない当時の記憶がある。今回は、前編に引き続き後編を紹介していく。

文●元川悦子 写真●フットボールチャンネル編集部 工藤明日香

 


 

今でも忘れられない苦い全少の思い出

「お前は将来、代表でやる子やから」と新庄総監督に太鼓判を押されていた弘嗣少年は、小学4年生から日の当たる舞台を経験していた。そして、99年全日本少年サッカー大会に出場。憧れの三浦淳宏と永井秀樹が応援にかけつける中、カミソリドリブルを披露し、周囲を驚かせていた。

6年生になった2001年の夏。彼は再びよみうりランドのピッチに立つ。二度目の全少出場権を手にしたのである。

明治北SSCは1次リーグを順当に勝ち上がった。弘嗣少年は凄まじい運動量でグラウンドを所狭しと駆け回っていた。相手が攻めてきたときにはMFにもかかわらずゴール前まで下がってGKの前で壁になり、ボールを奪ったら一目散に攻め上がって、キレ味鋭いドリブル突破からゴールを奪う。少し目を離しただけで瞬間移動のように別のポジションに動いているスーパー少年のプレーを見ようと、大勢の観客が移動してくるほどだった。

「弘嗣の一つひとつのプレーにどよめきが起きていました」と新庄総監督も言う。

大会は佳境に突入し、明治北SSCは準々決勝で福山ジュニアと対戦する。弘嗣少年は普段通りに際立った存在感を示していたが、思うようにゴールが入らずいら立ちを募らせていった。そしてこの試合で、レフリーに暴言を吐いて退場処分を食らってしまう。新庄総監督の50年近い指導者人生の中で、全少という華々しい舞台でレッドカードをもらった子どもは彼だけだ。

監督であり父親である由光さんにとっても、信じがたいアクシデントだった。

「FWだった弟・功暉が相手DFに何度も何度も削られていて、兄としては見ていられなかったんでしょう。激しくやられた瞬間、弟を守りたい一心で、レフリーへの文句が口から出てしまったんだと思います。親としてはその気持ちは十分わかります。でもピッチに立った以上、やってはいけないことだった。サッカーは団体スポーツですし、選手がひとりでも欠けるとダメージが大きい。2000年前後になると、すでにJリーグの下部組織が台頭していて、少年団が全少で上位まで勝ち上がるのはかなり難しくなっていましたから、弘嗣がいなければ次の準決勝はかなり厳しいだろうと感じました」

何とか福山ジュニアには勝利したものの、準決勝で清武は出場停止。ショックを隠しきれない弘嗣少年は、チームバスに乗らず、父と歩いて宿舎まで戻ることになった。その道中に父がふと漏らした言葉が、彼の胸に深く深く突き刺さった。

「お前にだけは、サッカーさせんとよかった……」

その一言を、弘嗣少年は黙って受け止めるしかなかった。「チームのことをもっと考えてほしかったのに、なぜ冷静になれなかったのか……」という父のやり場のない気持ちがひしひしと伝わってきたからだ。普段は血気盛んで、ガミガミと怒鳴りつけてくる父が、この時に限って神妙な面持ちでポツリとつぶやいたことも、息子にはひと際、重く感じられた。

 


 


僕らがサッカーボーイズだった頃
プロサッカー選手のジュニア時代

香川真司、岡崎慎司、清武弘嗣……
『プロ』になれた選手には、少年時代に共通点があった!
本人と、その家族・指導者・友人に聞いたサッカー人生の“原点”

【著者】元川悦子
【発行】株式会社カンゼン

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