清武弘嗣選手が経験した苦い全少での思い出と父の熱き教え【後編】

2013年07月11日

サッカーエンタメ最前線

新天地で自信をつけてサッカーの楽しさを再確認

中学2年生までは、体が大きくテクニックのある小手川らに囲まれ、焦る気持ちばかりが強くなっていた清武だったが、違った環境に身を置いたことで、精神的な余裕を取り戻すことができた。吉武監督が彼の個性を大事にしながら、プレーさせてくれたのも大きかった。移籍してから体も徐々に大きくなり、オスグット病も回復。すべてがいい方向に進んだ。

「中1、2の頃の記憶は全然ないんですが、トリニータに行ってからはサッカーがすごく楽しくなったんですよね。練習にも積極的に取り組めるようになったし、吉武先生に『お前もっとこうした方がいいぞ』ってアドバイスをしてもらえるのも心強かった。俺ってマイナス思考なんで、ポジティブに物事を言ってもらえると自信がつくんです。吉武先生にはホントに助けてもらいました」

吉武氏は当時、トリニータで指導しながらU-15代表監督を兼務しており、2005年夏のブラジル遠征メンバーに清武を抜擢した。子どもの頃からスーパー少年と見られてきた彼といえども、国際舞台に立った経験は皆無に近い。初めて日の丸をつけた海外遠征に出向き、日本人とは違った特徴をもつ選手たちと戦ったことで、さらに大きな手ごたえをつかんだ。

大分U-15で清武と2トップを組んだ井上裕大(大分トリニータ)も、パートナーの劇的な変化に驚かされた。

「キヨのことは小学生のときから知っていますが、カティオーラの頃は体も小さくて、いつも遠慮しながらやっていたんじゃないかと思うんです。それが中3になって大分に来てから別人みたいにイキイキしていた。特にブラジル遠征に行ってきてからの変化はすごかったですね。ドリブルの鋭さなんかケタ外れで、1対1をやってもまず取れる気はしなかった。やっぱり自信をつけたのが大きかったんだと思います」

勢いに乗った清武は3年生の秋、高円宮杯全日本ユース選手権U-18のメンバーに飛び級で選ばれた。3つ年上の西川周作(サンフレッチェ広島)や梅崎司(浦和レッズ)ら高校生と一緒に全国大会に参戦する経験など滅多に得られるものではない。ベンチに座るだけでも、自信を深めるには十分だった。

「全日本ユースのあと、U-15の高円宮杯の大分県決勝があったんですけど、結局、カティオーラに1対4で負けました。コテ(小手川)もすごかったし、メチャメチャ強いチームでした。俺はその優勝メンバーにはなれませんでしたが、中3でトリニータに行ったからこそ、サッカーの楽しさを再確認できた。大事なのはそのことだって、よくわかったんです。

サッカーをやっていれば、もちろん、いろいろ悩むこともあるけれど、いつもニコニコしてボールを蹴っているのが一番。今は小、中学校のうちから戦術を教えるチームも多いけれど、純粋な気持ちでプレーしていれば、いつか必ず伸びる。俺はそう信じてます」

思春期の苦境を乗り越えた清武は、笑顔でこう言った。

 


 


僕らがサッカーボーイズだった頃
プロサッカー選手のジュニア時代

香川真司、岡崎慎司、清武弘嗣……
『プロ』になれた選手には、少年時代に共通点があった!
本人と、その家族・指導者・友人に聞いたサッカー人生の“原点”

【著者】元川悦子
【発行】株式会社カンゼン

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