コラム

リオ五輪日本代表主将・遠藤航選手、中学時代まで無名だった選手がプロの道を切り開けたワケ

2016年08月05日

間もなくリオデジャネイロ五輪初戦を迎える日本代表のキャプテンとしてチームに欠かせない存在である遠藤航選手。そんな遠藤選手がプロになるまで歩んできた道のりとは。

(文●元川悦子 写真●Getty Imges)

ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.34』より一部転載


GOIANIA, BRAZIL - JULY 30:  Wataru Endo #3 of Japan in action during the international friendly match between Japan and Brazil at the Estadio Serra Dourada on July 30, 2016 in Goiania, Brazil. (Photo by Koji Watanabe/Getty Images)

キャプテンシーが身に着いた中学時代

 遠藤が入学した南戸塚中は、2年前までサッカー部が休止状態に陥っていた。彼が出会うことになる大野武監督(現横浜市浜中学校、神奈川県中体連サッカー専門部部長)が赴任してきた2004年春の時点では、ボールもなく、ゴールにネットも張られていない状態だった。高校時代にインターハイ出場経験のある当時30歳そこそこの熱血監督は、この状況を何とかしようと手を尽くし、1年がかりでまともな運営ができるように整えた。そんな陰の努力がなければ、遠藤らは充実したサッカー生活を送れなかっただろう。

「部員は小学校の頃より多くて、3学年で50~60人いました。ただ、中学から始めた人もいれば、ずっとやってきた人もいて、かなりレベル差がありましたね。校庭も物凄く狭くて、野球部やテニス部と区切って使ったりするので、サッカーコート1面はまず確保できない。そういう環境なので、できることも限られていて、ボールを投げてインサイドキック、インステップキック、ヘディング練習、ボール回し、シュート練習、できる時はゲームみたいな感じでした。

 それでも先生がすごく熱心な方で、基本技術の大切さを改めて学ぶことができました。ピッチ外でも挨拶や礼儀の大切さを日々指導され、勉強もちゃんとしろと言われていました。小学校時代の自分は少しヤンチャな部分もあったけど、先生の話をすんなり受け入れているうちに、落ち着いてきたのかなと思います」(遠藤)

 南戸塚中は指導スタッフが充実していて、大野先生を筆頭に、外部指導者の山本コーチが定期的に見てくれていた。加えて遠藤が中2になってからは、それまで柔道部の顧問だった高橋奨先生(現横浜南高校、関東トレセンGKコーチ)もGKコーチとして加わり、3人体制になったのだ。

 とはいえ、中学校の先生は授業や生活指導も忙しいから、毎日グラウンドに立てるわけではない。そういう時はキャプテンが練習メニューを聞きに行き、実際のトレーニングを進めることになる。最高学年になってからは遠藤がその役割をつねに担っていた。

「練習を仕切るのはもちろん、ゴールを運ばせたり、用具を後輩に準備させたりといろんなことをやりました。遠征に行く時も、先生は車で直接会場入りしますから、僕が全員を引率する形になる。大勢で行くので迷惑にならないように『2列に並べ』『間を空けずに歩け』と注意していました。ホントにいろんなことがあったけど、その経験を通してキャプテンシーが身に着いていきましたね」

カテゴリ別新着記事

drisal-bn-300×80


school_01
1日無料体験入学に参加してサッカースクールを選ぼう!

◇PICK UP サッカースクール◇

人気記事ランキング

おすすめ記事


Twitter Facebook

チームリンク