日本代表・柏木陽介選手に聞く『サッカー進路』。より良い環境へと導いてくれた信頼できる大人の存在

2016年09月05日

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 親元を離れてサッカーをする、一大決心

 中学の進路について親にはほとんど相談しなかったという。

「中学までは全然しなかったです。中体連の部活動でサッカーをやるよ、と伝えて、いいんじゃない? という感じでした。ヴィッセルのジュニアユースに行けばお金がかかることはオカンもわかっていたし、そうしてほしいと思っていたと思います」

 ただ、柏木選手が進んだ兵庫県の御津中学校のサッカー部は、当時、その地域では強豪校として知られていた。同級生には後にプロの道に進む木下真吾(ヴィッセル神戸などでプレー)というレベルの高い選手もいた。

 柏木選手にはある程度のレベルでサッカーができるという目算はあったのだ。そして、「トレセンに選ばれたりすれば高校に進学するときの進路もどうにかなる」という漠然とした自分自身への期待もあった。適当に中体連への道を選んだわけではなかった。

 やがて中学を卒業する頃、高校年代はどこでサッカーをするべきか決断するときがきた。ヴィッセル神戸ユースから誘いがあり、中学3年生の時点で練習参加もしていた。だがそこにサンフレッチェ広島ユースから「練習だけでも参加してみませんか?」と声がかかった。柏木選手はすかさず少年団の監督に連絡をした。

「広島は育成の指針がしっかりしているからいいんじゃないか」

 相談をするなかではっきりと広島ユースに心が傾くのがわかった。

「監督がいうようにレベルが高いんだったら楽しみだなと。あまり深くは考えていなかったです。とにかく楽しみだったので、無心でした」

 親元を離れてサッカーをする、一大決心である。

「そうですね。だから当然オカンにも相談しました。いいよ、とあっさり了承してくれたので決断できたところはあります。ただ、出発前日は大泣きしましたけどね……。絶対にプロになって戻って来るから、とそのときにオカンに伝えたし、覚悟を決めたところはあります。

 オカンにあとになって聞いたことがあるのですが、兄貴と僕の試合の両方が重なったら、オカンは僕の試合を見にきていたみたいで、それが試合が面白いからと。オカンも僕がプロになれるという自信があったようです。だから当時お金がなかったのに広島まで行かせてくれたんだと思います」

(続きは『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.42』をご覧ください)

SAITAMA, JAPAN - MAY 08: (EDITORIAL USE ONLY) Yosuke Kashiwagi of Urawa Red Diamonds applauds supporters after his team's 1-0 win in the J.League match between Omiya Ardija and Urawa Red Diamonds at the Nack 5 Stadium Omiya on May 8, 2016 in Saitama, Japan. (Photo by Hiroki Watanabe/Getty Images)


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◆特集1 子どもの未来が決まる サッカー進路2016
◆特集2 スペシャリストたちに聞く! インテグラルトレーニングって何?

 

ジュニアサッカーを応援しよう! VOL.42
【発行】株式会社カンゼン
A5判/並製/176ページ


 

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