豪州、韓国を経て3年ぶりJ復帰。高萩洋次郎選手が15歳で決断した「越境」という選択

2017年01月25日

コラム

常にライバルがいることを感じていた

 こうしてさまざまな人たちの応援を受けて広島ユースへと進み、2002年1月にこれまで縁もゆかりもなかった広島県安芸高田市へと足を踏み入れた高萩少年。

 当時の3年生にはDF寄井憲(元ヴァンフォーレ甲府)、2年生にはMF田坂祐介(川崎フロンターレ)、MF西山貴永(元川崎フロンターレ)、そして同期生にはMF高柳一誠(レノファ山口)、桒田慎一朗(元ファジアーノ岡山)、DF森脇良太(浦和レッズ)、GK佐藤昭大(ロアッソ熊本)、FW前田俊介(ガイナーレ鳥取)、DF藤井大輔(元V・ファーレン長崎)などが所属していた「プロ予備軍」で彼を待っていたものは……。

――広島ユースに入って寮生活を始めたことでのカルチャーショックはありましたか?

 いや、実際に入ってみると思ったより知っている選手がいて、逆に安心しました。これまでに代表合宿で会っていた選手もいましたし、Jヴィレッジサッカースクールで一緒にやっていた選手もいたので。その意味では「全寮制」ということが逆に良かったですね。

――「広島ユース」というと稲田稔寮長と森山佳郎監督(現U-17日本代表監督)の話が出ることが多いのですが、高萩選手にとってお二人はどのような方でした?

 寮長は親代わりのようなものでした。時間を守ることや挨拶をすることなど、「人としてやらなくてはいけないこと」を教わったのは本当に良かったと思います。最初はみんな寮生活の流れに慣れることが大変で、遅刻したりして怒られていました。時間に遅れることが一番怖かったので、寮に入った最初はみんな早起きでしたね(笑)。

 ゴリさん(森山監督の愛称)は、僕が1年の8月に監督だった中村重和さん(現 徳山大学サッカー部 監督)が福岡の監督になられた際に、当時コーチだったゴリさんが監督に昇格されました。ゴリさんは選手との距離が非常に近い監督さんで、課題(欠点)の部分よりは、選手の特徴(良い部分)を伸ばしてくれるので、自分としてはやりやすかったです。あとは精神面の部分。ゴリさんは熱い方ですから。

――広島ユースは全国の色々なところから選手が集まってきますが、そこで得たものはありますか?

 僕は一緒に寮生活していることで、常にライバルがいることを感じていました。練習をしていても「こいつにだけは負けたくない」と思っている選手が大勢いましたし、僕もそう思って練習していました。

 そういったライバル心・競争心を持っていたので、試合よりも練習の方が当たりも激しかった。それが、それぞれの成長につながったんだと思います。

 ただし、サッカーではそんな感じでも、普段の生活では仲よく、楽しくやっていましたし、サッカーと寮生活はまったく別という感じでしたね。

 

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