「学校の友達から嫉妬されたり、靴を隠されたりした」紆余曲折の連続だった石川直宏選手のサッカー人生

2017年08月05日

コラム

幼稚園からサッカーをはじめ、自身の才能を見出すと中学校に上がったと同時に横浜マリノスジュニアユース追浜への入団を決意した石川選手。中学時代は学校とクラブの両立から同級生とのコミュニケーションが上手くいかず学校の友達から嫉妬されたり、靴を隠されたりしたしたこともあったという石川直宏選手のサッカー人生は紆余曲折の連続だった。

【前編】なぜ“石川直宏”は人を惹きつけるのか。今季での引退を決意した“ミスター東京”の少年時代

(文●元川悦子 写真●Getty Images)

『僕らがサッカーボーイズだった頃』より転載


TOKYO, JAPAN - MARCH 18:  (EDITORIAL USE ONLY) Naohiro Ishikawa #18 of FC Tokyo celebrates the win after the J. League Nabisco Cup match between FC Tokyo and Albirex Niigata at Ajinomoto Stadium on March 18, 2015 in Tokyo, Japan.  (Photo by Masashi Hara/Getty Images)
(写真●Getty Images)

「学校の友達から嫉妬されたり、靴を隠されたりした」

 石川が横浜マリノスジュニアユース追浜の門を叩いたのは、前年のJリーグ発足で日本中が盛り上がっていた94年4月だった。93年5月15日のJリーグ開幕戦、横浜マリノス対ヴェルディ川崎戦を東京・国立競技場まで見に行った彼は、Jリーガーになりたいという意欲を一段と強めていた。学校とクラブを両立させる新生活を始めることには不安もあっただろうが、彼の中では期待や希望の方が大きかった。

 自宅から近い横須賀市立野比中学校で普通に授業を受け、いったん家に戻ってから、電車やバス、自転車を乗り継ぎ、片道1時間以上かけて追浜まで往復する日々はかなり大変だった。両親が共働きだったため、送り迎えは一切してもらえない。

「直宏は遠征や合宿に行くときも親の手を煩わせたことはないです」と父・二三夫さんが感心する通り、何事も自分でやる習慣がついたのも、遠くまで通ったマリノスジュニアユース・ユースの6年間の経験が大きいのかもしれない。

 ただ、学校にゆっくりいられないから、同級生とのコミュニケーションがどうしても十分には取れない。「なぜ石川君は毎日さっさと帰るんだろう?」と不思議がられたり、「お前、なんで部活に入らないんだ」と不満をぶつけられることもあったりと、友人たちとの関係づくりには難しさがあったようだ。

「周りが楽しそうにしてる中、自分だけ帰らなきゃいけないのは、確かに寂しさもありました。でも『絶対にプロになる』という目標がハッキリしていたんで苦にはならなかったですよ」

 ただ、石川はそういう姿を、両親には一切見せなかった。

「中学校のときはマリノス追浜に通っていたことで、学校の友達から嫉妬されたり、靴を隠されたりと、いろんなことがあったようです。でも、本人の口からは何も聞いたことがない。こちらもあえて聞きませんでした。直宏は結局のところ、すべてを自分で解決するしかないと 思っていたんでしょうね」

 母・さなえさんは、息子の心情に思いを馳せる。

 確かに、彼の中では「自己判断力がなければサッカーはできない」という強い信念があった。  

「ウチの親、特に親父は『やりたいならやれ。やめたいならやめちまえ』というタイプの人。サッカーのことも学校のことも、ああしろこうしろとは全く言いませんでした。小さいときから自分で判断し、努力するように親が仕向けてくれたのはよかったと思います。自分で決めるってことは、自由だけれど責任も伴う。特に中学生の頃はそれがよくわかりましたね」

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