なぜ全日本少年サッカー大会は生まれたのか。大会の礎を築いた男の情熱と哲学

2017年12月22日

コラム
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選手以外にも世界で活躍する人材が

 日本テレビで少年団時代からこの大会をテレビ中継した坂田信久氏にもっとも印象に残った選手を聞くと、「第7回大会に優勝した清水FCのキャプテン遠藤友則君」という答えが返ってきたインタビューに対する態度もふるまいも堂々として素晴らしかった。遠藤君は今、何をしているのか。

 追跡取材の結果、次のような回答が当時の綾部監督から返ってきた。

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お問い合わせの遠藤友則は、現在ACミランに所属しております。
1973年(昭和48年)の大会に参加しました。
この大会を韓国サッカー協会金徳淑氏が観戦し韓国へ招待してくれました。
この遠征が少年が日本で初めて海を渡ったことになります。日韓共催のワールドカップ開催の29年前のことです。 私は、当時このチームの監督をやらせていただきました。
彼との出会いがなければおそらく今日まで 私はサッカーとは無縁だったと思います。

彼から教えてもらった「先生があの白い枠の中にボールを入れたら先生の勝ち」。
私が初めて知ったサッカーのルールです。

綾部 美知枝

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 遠藤氏はミランでトレーナーとしてカカやロナウドを世話しているという。熱い教師たちが、予算も無く情熱だけで始めた全少。撒いた種は確実に実を結んでいる。

 その後も大澤氏のお話は延々と続いた。その中でも人柄を表わすには、このコメントが、一番であろう。

「子どもは遊びを作る名人っていうんでしょうか。子どもって指導者に教えてくれる唯一のものだね。子どもに教えててね、教わることっていっぱいあるよ。これはもう何十年やっててもね。この歳になるまで、子どもと大会を通して、生活面でもね、グラウンドの指導面でもね、本当に教わったよ。

 子どもは指導者を育ててくれる。指導者で子どもに自分がやってやるなんていうのは大間違いだよね。大会でもハーフタイムになって子どもが帰ってくる時にね、子どもがもう疲れて暑い最中でね、自分だけが椅子に座ってさ、子どもたちは立たせておいて、一生懸命になって指示を出している指導者もいるよね。

 私は思うね。ハーフタイムは誰のためにあるんだって。あれは監督のためじゃないんだよ。子どもたちをいかに体を休めさせてあげられるか、子どもたちの体を休めさせて、後半をどうやって戦っていくのか考えさせてあげる時間でしょ。

 それはプロだったらね、監督が指示を出して、後半に向かっていくというのは当然あります。最近でもこういう光景をたまに見かけますね。やっぱり、ああいうのは指導者というものを履き違えていると思いますよ。俺が教えてやってるという考えでね、自分が子どもたちに教わっているという逆の発想がないんだよ」

 かような哲学を持っている人物だからこそ、継続し、成功をおさめることができたのだ。何の見返りも求めず、無償の情熱で築いた全少。42回を迎えた全少が今年もやってくる。

全少コラム

 

各都道府県大会の結果は、第41回全日本少年サッカー大会 特設ページから

 


 

(プロフィール)
大澤英雄(おおさわ ひでお)
1936年北海道生まれ。1960年国士舘大学体育学部卒業。体育学部助手・講師・助教授を経て81年教授、92年から01年まで同学部学部長、03年から06年まで国士舘大学学長を務めた。06年以降同大学名誉教授。06年12月から学校法人国士舘常任理事就任。08年6月から学校法人国士舘副理事長を務め、09年4月理事長に就任。サッカー指導歴も長く、国士舘大学サッカー部を創設、監督を長期にわたって務め、NHKサッカー解説山本昌邦氏、宮沢ミッシェル氏、元日本代表キャプテン柱谷哲二氏他、多数のJリーガーを育てた。また、日本サッカー協会役員として Jリーグ創設・少年サッカー普及にも大きく貢献している。1970年日本蹴球会公認コーチ。94年から2006年まで、川崎市サッカー協会理事長。92年から2004年まで、日本サッカー協会理事・特任理事。2008年から全日本大学サッカー連盟顧問。2009年から体育大学協議会理事、2012年から日本私立大学協会理事。
(国士舘大学ホームページより)


 

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