“結果を出す男”森岡亮太が少年時代に養った「自分で考える力」。創造性あふれるプレーの原点

2018年01月31日

コラム

「原口元気はホント、えぐかった」。森岡選手がぶつかった”3つの壁”

「亮太は当時から大柄で、同年代のDFだと簡単にかわしてしまっていた。ただ、同じことを続けていたら、将来的には周りが成長してきた時に抜けなくなる。そうならないように『自分で考えて、逆を取ったり、相手をだましたりしろ』と常日頃からアドバイスを送り、対応力を養わせようとしました。

 当時から彼は、サッカーを見る力に長けていた。小4の時から大会に出るたび、休憩時間になると『試合を見てきていいですか』と言って、じっと他チームの一挙手一投足を目に焼き付けていました。『自分ならどうプレーするか』を考えながら流れを追っていたそうです。こうした小さな積み重ねが独特の創造性やアイディアの構築につながったのかなと思います」と高山総監督は亮太少年の非凡さを見抜いていた。

 とはいえ、壁にぶつかることももちろんある。その1つが小5の清水遠征だった。「全国規模の大会で優勝している1つ上の清水FCと試合させてもらうことがあったんです。その時は衝撃でしたね。『能力ありすぎるやろ。ホンマにこの人らって1こ上』って思いましたね」と彼は神妙な面持ちで言う。当時はまだまだサッカー王国・静岡との差は大きかったのだろう。

 2つ目が京都府選抜。遠征メンバーには必ずと言っていいほどど入れなかった。「何十人かいて、遠征メンバーを20人選びますって言ったら、絶対に入らなかった。他にもうまい選手は沢山いましたからね」と本人は苦笑する。「ボールを持ちまくるから評価されなかったのかなと。ただ、自分のスタイルを変えないのが亮太のいいところだと僕は思っていました」と高山総監督は教え子の個性をポジティブに捉えていた。
 
 3つ目は小6の時のバーモントカップ。ソルセウは念願の全国大会出場を果たしたが、予選リーグ2位で行われる2次リーグで敗退。決勝戦を見て帰ることになった。そこで目の当たりにしたのが、現日本代表の同僚で、当時江南南サッカー少年団のエースだった原口元気(ヘルタ)の一挙手一投足だ。「彼らと決勝で当たった相手が兵庫県代表。そのチームも強かったのに、江南南にボコボコ行かれてた。『マジか、これ』と。みんなすごかったけど、原口元気はホント、えぐかった(苦笑)」
 
 上には上がいることを痛感した小学生時代。その貴重な経験を糧に、亮太少年は2004年春に小学校を卒業。地元の東城陽中学校に進む。他のクラブからの誘いもあったが、「学校生活や学校での仲間づくりを大切にしてほしい」という両親の願いを聞き入れ、中体連でサッカーを続けることにした。

(中学、高校年代の話は『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.47』にてお楽しみください)


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