「ごく普通の選手だった」日本代表のエース大迫勇也が”怪物ストライカー”になるまで

2018年06月19日

コラム
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高校2年の時に大きな挫折に直面

 2005年に入学した頃、鹿児島城西は 鹿児島実業、神村学園らの牙城を崩すほどの急成長を遂げていた。小学校時代から県内では有名だった大迫希らも加わり、大迫はハイレベルの仲間とともに練習に勤しんだ。すでに身長も180㎝まで達しており、体の線はまだ細かったものの、小久保監督は1年の高校総体県予選から早速、起用し始めた。

「勇也は高校上がる直前の春休みの宮崎合宿に参加した時も、関西の大学との練習試合にラスト15分だけ出て1ゴール1アシストという結果を残した。それだけの選手ですから、入学早々、公式戦に出すことに迷いはありませんでした。試合の山場になると『そろそろ出てくるぞ』と相手の監督も予想していたと思います。実際にピッチに送り出すと、瞬く間に2得点して15分間でお役御免になるといった『スーパージョーカー』的な働きをしてくれた。U-16代表に相応しいレベルの選手でした」と指揮官も太鼓判を押す。「小久保先生は優しかった」と大迫も話していたが、山平監督とはまた一味違ったアプローチが、高校生の彼には合っていたようだ。

 理想的な環境の下、順調に飛躍していった大迫だが、高校2年の時に大きな挫折に直面する。2007年U-17ワールドカップ(韓国)直前になって最終メンバー落選という憂き目に遭ったのだ。当時のチームは、 2014年ブラジルワールドカップに挑んだ日本代表でポジションを争った柿谷曜一朗(セレッソ大阪)を筆頭に、齋藤学(川崎フロンターレ)、大塚翔平(川崎フロンターレ)らJユース所属選手が大勢を占めていた。大迫は彼らの壁に阻まれる結果になった。

「あまり気にするな」
 
 小久保監督は大迫に優しく声をかけた。「U-17代表からA代表になった選手は少ない。最終的にA代表になることが大事なんだ。ここからどうなるかが肝心だよ」
 
 この言葉を聞いて、大迫は自分が何をすべきか真剣に考えたに違いない。2年の高校サッカー選手権までは全て自分1人でやろうとしてエゴをむき出しにする傾向が強かったが、徐々に仲間を使って自分も生かす術を考えるようになった。小久保監督に「周りを使え」と口を酸っぱくして言われたことも大きかったのだろうが、ゴールもアシストもできるマルチな能力を備えたFWへと変貌を遂げていったのだ。

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