「ガラスの天才」比嘉厚平。指導者になった今、何をおもうのか

2018年10月12日

育成を考える

大ケガに直面しても”楽観的”に考えていた

 昔からケガが多いことは自覚していた。左膝を痛める前にも肩を脱臼することが3回あった。

「自分は相手をかき分けるようにボールに突っ込んでいくスタイルだったし、その勝負所で逃げちゃいけないと思っていたんです。それが自分の持ち味だし、そこで行かないと自分ではない、という思いが強かった」

 サイドを突破して、相手ゴール前でフィニッシュに絡んで初めてチームに貢献できる。その思いの強さで身体を張ってきた比嘉は、左膝の靭帯損傷という大ケガに直面しても、これまでどおりに治るだろう、と楽観的に考えていた。

「ケアをしてくれるトレーナーがいたし、マッサージをしてくれたり、病院に連れていってくれたりしたので、全部周りに任せていました。時間が経てば治るんでしょできるようになるんでしょ、という甘い考えがあった。でも、このときの靭帯損傷はあとから振り返れば、普通にケアするだけではダメなほど大きなものでした」
 
 メスを入れた膝の周りの筋肉はかなり削ぎ落ちていた。プロデビューを飾った2009年の途中、全治7ヵ月のケガからピッチに復帰したとき、比嘉の頭のなかにはかつての自分のプレーのイメージがあった。練習のピッチで、そのイメージどおりに身体を動かそうとしてもなかなか思い通りに体が動かなかった。しかし、比嘉の自覚がないところで身体は悲鳴を上げていた。ケガによって弱体化した筋肉がたびたび肉離れを起こし、復帰後の1年の間に3回、4回と繰り返すようになった。満足に練習することもできなければ、コンスタントに公式戦に絡むこともできない。比嘉の苦悩が始まった。
 
 ケガからスタートしたプロキャリア。柏レイソルのトップチームに所属した2年間ではわずか1試合の出場に留まった。2011年にJFLのブラウブリッツ秋田へ期限付き移籍を果たし、ここで30試合に出場して7ゴールを記録。翌年はJ2モンテディオ山形に期限付き移籍して10試合に出場。翌2013年から山形へ完全移籍となった。比嘉はこの数年の間、自身が思い描くトップパフォーマンスをずっと発揮できていなかった。肉離れを度々発症するなど、ケガとの戦いが続いていた。
 
 比嘉の身体がさらなる黄信号を発するのもこの頃だ。2014年シーズンに入った頃、練習をしていると膝が痛くなり、水が溜まってしまうことがあった。

「長年、しっかりと筋トレもせずに放置していたツケが祟ったんです。膝周りの筋力が落ちているから、動いたときの衝撃を筋肉で和らげることができず、関節の骨でそのまま吸収する状態が長年続いていたんです。次第に膝の半月板や軟骨などがすり減ってしまい、骨と骨が摩擦を起こすようになった。そこにすり減った軟骨が挟まったときには歩けないほどの痛みが出て、再び手術を受けることになったんです」
 
 2014年の末に手術をした比嘉は翌年、練習のピッチに戻った。が、状況は最悪だった。少しだけプレーをしてやめる、またプレーしてはやめる、という時間を繰り返した。立っているだけで痛みが生じ、挙句、夜に寝ているときに痛みで目が覚めることもあった。

(もう、無理だろうな……)

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