“結果を出す男”森岡亮太が少年時代に養った「自分で考える力」。創造性あふれるプレーの原点

2018年01月31日

コラム

当時あこがれていたのは川口能活選手

 ドイツがベルリンへの首都移転を決定し、ソビエト連邦が崩壊するなど、世界情勢が大きく変化していた1991年。森岡亮太は母・弘子さんの実家がある兵庫県加古川市で同年4月に世を受けた。3つ上の兄・ 逸平さんに続く次男誕生に父・進さんも大いに喜んだ。

「『亮』の文字に『明るい』という意味があったのと、『亮太』という響きが『明るく元気な子』というイメージを感じさせたので、この名前を選びました」と弘子さんは命名の由来を語る。3年後に生まれた妹・佐知子さんも含めた3兄弟の中、亮太少年は活発な幼少期を過ごしたようだ。

 一家が居を構えていたのは京都・城陽市。人口7万5000の小都市だが、京都サンガの練習拠点「サンガタウン」がある場所としてサッカー界ではよく知られている。

 その縁もあったのか、亮太少年は5歳の時からボールを蹴り始め、兄が通っていた町クラブ・正道カンガーFC入りする。そこでサッカーの楽しさに目覚め、熱を入れるようになった。

「正道カンガーFCの活動は週末だけ。平日は親が共働きだったので、よく兄貴と学童保育に行きました。そこでは野球を筆頭にいろんなことをやったけど、やっぱりサッカーが一番楽しかった。その頃の自分はGKがすごい好きで、憧れの選手は当時日本代表で活躍していた川口能活(相模原)さん。日本が初出場した98年フランスワールドカップも覚えてます」と森岡は約20年前の出来事を懐かしそうに振り返る。

 高山総監督が99年に立ち上げた町クラブ・FCソルセウに移ったのもちょうどその頃。久世小学校2年の時、正門前で配られていたビラを見て、友達数人と体験スクールに足を運んだのがきっかけだ。亮太少年は3期生として小3から正式加入したが、人数が少なかったためコーチ陣とも一緒にボールを蹴る機会が多かった。大人たちが心から楽しそうにプレーする姿が亮太少年の琴線に触れたようだ。

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