「ごく普通の選手だった」日本代表のエース大迫勇也が”怪物ストライカー”になるまで

2018年06月19日

コラム
タグ:  

日本代表は19日(火)にロシアW杯グループリーグ初戦でコロンビア代表と対戦し、2-1で勝利を飾りました。FWで先発出場した大迫勇也選手は(万世SSS/鹿児島育英館中学校/鹿児島城西高校 )後半にCKから逆転ゴールをマーク。ハメス・ロドリゲスのシュートをスライディングでブロックするなど攻守において大活躍をしました。そんな大迫選手はいかにして”半端ないストライカー”になったのか、その軌跡を振り返ります。

文●元川悦子 写真●GettyImages

『ジュニアサッカーを応援しよう!vol46』より一部転載


SARANSK, RUSSIA - JUNE 19:  Yuya Osako of Japan celebrates scoring the 2nd Japan goal to make it 2-1 with Yuto Nagatomo and Makoto Hasebe of Japan during the 2018 FIFA World Cup Russia group H match between Colombia and Japan at Mordovia Arena on June 19, 2018 in Saransk, Russia.  (Photo by Adam Pretty - FIFA/FIFA via Getty Images)

全国大会とは無縁だった

 フランツ・ベッケンバウアー監督率いる西ドイツ代表が、ディエゴ・マラドーナ擁するアルゼンチンを下して3度目の世界王者に輝いた90年イタリアワールドカップ。この大会が開幕する約1ヵ月前、鹿児島県南西 部の加世田市(現南さつま市)に住む大迫家に待望の次男が誕生した。「勇也」と名付けられた男の子は2つ上の兄、3つ下の妹の 三人兄弟の中、スクスク育った。「僕の地元は山しかない田舎。家からコンビニまで歩いて15分もかかるくらいですから」と本人が説明するように、自然あふれる長閑な土地で、彼は元気いっぱいの幼少期を過ごした。
 
 ボールを蹴るようになったのは3歳の頃。通っていた幼稚園で幼児教育に力を入れている太陽スポーツクラブが巡回指導していたため、勇也少年もサッカーに関心を持つようになったのだ。万世小学校入学後も1・2年の間は太陽スポーツクラブのサッカー教室で練習していたようだ。
 
 万世サッカースポーツ少年団(SSS)に入ったのは小学校3年生に上がった99年。同少年団は総勢30人程度の小規模なチームで、活動は月・水・金曜日の週3回。3・4年、5・6年という2つのカテゴリーで練習を行っていた。当時の鹿児島県は、遠藤保仁(G大阪)を輩出した桜島地区を含む鹿児島市内、あるいは霧島市がサッカーどころで、加世田市は県大会に出場できれば御の字だった。「県大会1回戦で勝てれば、もう優勝したかのように喜んでいましたからね」と大迫も笑みを浮かべていた。しかし、20年が経過した今は、南さつま市のチームが全国大会に出場するほど急激なレベルアップを遂げているという。
 
 この頃、勇也少年たちを指導していたのが、永野高茂監督。「私は高校を出て地元企業で働きながら社 会人サッカーをしていたんですが、その先輩の紹介でJリーグ開幕の93年から万世SSSの指導をするようになりました。勇也の兄弟は3人とも少年団でプレーしていて、勇也は特に負けず嫌いでした。当時は自分 もまだ20代で体も動いたんで、よく子どもたちと一緒にボールを蹴りましたが、あの子は私に向かって果敢に1対1を仕掛けてきました。OBの中学生や高校生が来た時もそうでした。サッカーに対しての貪欲さは本当に凄かったですね」と恩師は述懐する。
 
 永野監督はボールを止める・蹴る技術の基本を徹底させ、サッカーの楽しさを教える一方で、自分で考えてアクションを起こすことの重要性を子どもたちに伝えた。うまい人の真似をさせたり、サッカーノートを書かせたりと、さまざまな角度から成長を促したようだ。「少年団の試合後には必ずサッカーノート1ページ分の反省をさせていましたし、日本代表戦の時は練習を早く切り上げてレポートを書かせたこともありました。勇也は覚えていないかもしれないけど、真面目に書いてくれましたよ」と恩師は懐かしそうに語る。

お知らせ

ga


school_01 都道府県別サッカースクール一覧
体験入学でスクールを選ぼう!

おすすめ記事

育成全体のオーガナイズ

Twitter Facebook

チームリンク