“JFLでも通用しなかった”。サッカーを“嫌いになりかけていた”朴一圭がJ1リーグ王者の守護神になるまで

2020年03月06日

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男なら誰もが一度は思い描くであろう。「BIGになりたい」と。横浜F・マリノスのGK・朴一圭は、日本サッカー史のなかでも、屈指の〝成り上がり伝説〞を持つ。朴は、いかにしてJ1優勝チームの守護神の座まで登りつめたのだろうか。その異色のキャリアを振り返る。今月6日に発売した『フットボール批評 issue27』から一部インタビューを紹介。

『フットボール批評 issue27』 より一部転載

文・写真●舩木渉


朴一圭

〝在日Jリーガー〞が歩んだ異色の冒険譚

――朴一圭選手が本格的にプロを目指そうと思ったのはいつ頃ですか?

「より明確に『どうしたらプロになれるのか?』を考えて行動するようになったのは、大学2年生になって公式戦に出始めた頃ですね。朝鮮大学校でプロに進む先輩たちと一緒にプレーする中で、彼ら相手でも通用する部分が出てきて、『自分も力をつければプロに行けるんじゃないか』と感じるようになりました。それまでも『プロになりたい』とは思っていましたが、朝鮮学校に通っていたので具体的な物差しがなく、自分のレベルがどこにあるのかわからなかったんです。ただ、大学1年生のときにJリーガーになった先輩がいて、『これくらいの選手がプロになれるんだ』という基準が見えてきました。自分のストロングポイントを磨いていけばチャンスが出てくるんじゃないかと、自信が生まれましたね」

――その基準によって、練習など取り組み方は変わってきましたか?

「かなり変わりましたね。例えば先輩たちがJクラブの練習に参加してきたら、『今のシュートコースってプロはキャッチするんですか?』と聞くことができる。『いや、さすがにここは取らない』と言われたら、『このコースのシュートをキャッチできるようになれば、そのGKより確実にシュートストップで上に行くことができる』と考えられるようになりました。そこからGKコーチと相談しながら、プロになるためにどういう練習をしていくかを決めて、プロになったらすぐに試合に出て活躍することを目標に取り組んでいました」

――朝鮮大学校を卒業後、当時JFLに所属していた藤枝MYFCに加入しました。そこに至るまでの道筋はどんなものだったのでしょうか?

「大学4年生のとき、Jリーグの4クラブに練習参加させてもらいました。同時期に練習参加したクラブには特別指定選手として登録されている選手もいました。高校時代よりはかなり自信がついていて、大学になってうまくなった気もしていたんですけど、まだ肝が据わっていないというか……プレーのダイナミックさや勝負強さ、絶対的な力が自分に欠けているのを、同い年で特別指定のされている選手とプレーしたときに感じたんです。ですからJクラブに行けず、JFLのクラブに練習参加しても、藤枝しか選択肢がなかったことは割とスッと飲み込むことができました。どちらかというと藤枝に入れてラッキーだったとも思っていました。プロになるためのスタートラインにも立てない可能性もあったので、やっと自分の力を出せる環境に身を置けるということでホッとしたというか、これが自分の現在地なんだと理解して藤枝に入団しました」

――プロになれない現実を突きつけられても、モチベーションを保ちつつ自分の現在地を俯瞰して思考を整理できていた、と。

「朝鮮学校に通っていたことが大きな要因かもしれません。公式戦に出るために激しい競争を勝ち抜かなければならない日本トップレベルの大学の選手には相当な自信があると思うんです。そういう環境と比較すると自分にはライバルが少なすぎて、本当の意味での自信がつかなかった。当時、朝鮮大学校は関東2部で、チームとして戦えている部分はあっても、他の大学と比較して個の能力には明らかな差があると強く感じていました。それまで朝鮮学校でいい意味でも悪い意味でもチヤホヤされて、自分は上手いと思っていたけど、そうではない。井の中の蛙だった自分にJクラブへの練習参加で気づけたからこそ、物事をより俯瞰して見られるようになったのだと思います」

朴一圭

JFLでも通用せず関東リーグに落ちのびる

――藤枝で16試合出場後、1年で退団し関東リーグのFCKOREAへ移籍しました。朴選手のキャリアで大きな転機のひとつだったと思いますが、なぜ出場機会があったにもかかわらずカテゴリーを下げることを選んだのでしょうか?

「もう、まったく通用しなくて……。もちろん、いいプレーをして勝った試合もありますが、思い描いているプレーを自信を持ってできなかった。結局、当時の自分はJFLのレベルにもなかったんです。シュートストップがよくて機動力もあったので使ってもらっていましたが、ビルドアップやキック、ハイボールも含めてまったく通用しなくて、毎日練習に行くのが憂鬱になるくらいでした。実力がないがゆえに、大好きなサッカーを嫌いになりかけてしまうような環境にしてしまったんです。セレクションや練習参加のときとは違って、自分のプレーに対して厳しい指摘が出るようになると、打たれ弱かったですね。リバウンド・メンタリティはあっても、どう出していけばいいのかわからなくて、『俺は本当にヘタクソ……』と、自分のミスでなくても、自分のミスだと思い込むようになってしまいました。自分にプレッシャーをかけてしまったがゆえに、サッカーが楽しくないんですよ。やらされている感じで、駒として使われているような感覚に陥ってしまった。翌年も『一緒にやろう』という話はいただきましたが、潰れてしまうと思って退団の意思を伝えました」

――自分を限界まで追い込んでしまったがゆえの移籍だったということですね

「他のJFLクラブに移籍しても環境が変わるだけでレベルは同じなので、どこかで墓穴を掘ったり、できないプレーが出たりして、結局は同じことの繰り返しになると思いました。ですから、もう一度這い上がっていこうと、地域リーグを選んだんです」

――FCKOREAには1年間在籍してリーグ優勝を果たしました。もう一度プロとしてプレーするために、どんなことを心がけていましたか?

「プレーの基準を高く保ち続けることですね。藤枝で選手兼監督をされていた斉藤俊秀さん(現日本代表コーチ)は、代表で川口能活さんや楢﨑正剛さんとプレーした経験があって、要求レベルがメチャクチャ高かったんですよ。斉藤さんはどこの馬の骨かわからないような自分に対しても、川口さんや楢﨑さんと同じ水準のプレーを求めてくれました。ビビってチャレンジできないこともありましたが、斉藤さんが代表やプロでやっていたものを自分が体現できるようになれば、間違いなくプロに戻るための近道になると思っていたので、FCKOREAでは斉藤さんから言われたことを、プレーに落とし込んでいくことを意識していました」

――とはいえ、地域リーグはアマチュアなので、サッカーだけに集中できない環境です。

「もちろんアルバイトもしました。毎日ではないですが、朝6時からカフェで5時間くらい働いて、それから朝鮮大学校に向かって、15時からGKコーチをしながら、自分もボールを蹴っていました。FCKOREAの練習は19時半からで、終わったら21時半くらい。着替えて家に帰ったら23時で、食事をして、寝て、また朝起きて練習に行くようなサイクルでしたね。収入はもう最低限ですよ。食べる量は多いのに実家にはお金を入れられず、毎日100キロ近く運転するので自分の車の燃料代などで精いっぱいでしたから。でも、自分が上手くない分、とにかく練習量を増やして二部練習を当たり前にやらないとダメだと思っていたので、大学生相手でも次にステップアップするために必要なものを一緒にやらさせてもらいました。今になって振り返ってみると、あの頃の僕は結構すごかった。人って何かをやると決めたら犠牲を払うことができるんだとも思いました。睡眠時間が短くても関係なかった。FCKOREAでは勝ちながら課題を練習で修正していく好循環を作ることもできて、身体もメンタルも技術も、すべてがいい方に向いていたので、かなり充実していました。今のパーソナリティーを形作るにあたってすごく大事な1年でしたね。人としても成長できたターニングポイントといえます」

つづきは発売中の最新号『フットボール批評 issue27』からご覧ください。


<プロフィール>
朴 一圭(パク・イルギュ)
1989年12月22日生まれ、埼玉県出身。東京朝鮮中高級学校を卒業後朝鮮大学校に進学。2012年に当時JFLだった藤枝MYFCに加入したが、翌年には関東リーグのFC KOREAに移籍。2014年に藤枝に復帰し、定位置を掴むと2016年に当時J3だったFC琉球に加入。その3年後に横浜F・マリノスに移籍し、初年度から正GKの座を掴み、チームの15年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。


football critique

【商品名】フットボール批評 issue27
【発行】株式会社カンゼン
2020年3月6日発売

 プレーモデルから経営哲学、はたまた人間形成まで、ありとあらゆる“洋物”のフットボールメソッドが溢れ返るここ日本に、独自のフットボール論が醸成されていないと言えば実はそうでもない。
 
 例えば27年目を迎えるJリーグ自体、“完熟”の域には達していないまでも、“成熟”の二文字がチラつくレベルに昇華している。

 “洋物”への過度な依存は、“和物”の金言をフォーカスする作業を怠っているからにすぎない。
フロント、プレーヤー、無論、サポーターにも一家言が備わりつつある時代になっていることを思えば、舶来のメソッドばかりを追いかけるのもそろそろどうかという気がしている。

 経営、バンディエラ、キャリアメーク、データ、サポーターなどさまざなま分野に、それこそ秀でた国産のフットボール論は転がっている。

 弊誌が見初めた“Jのインフルエンサー”による至言に、まずは耳を傾けてはいかがか。


 

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