海を渡った日本人指導者たち。豪州から見る“日本サッカーの輪郭”

2017年04月18日

コラム

 3月31日(金)から4月2日(日)までの3日間に渡って、静岡県御殿場市の時之栖うさぎ島グラウンドで行われた『COPA PUMA TOREROS 2017 PRIMAVERA U-12』では、優勝したスペインのアトレティコ・マドリード、ドイツのヘルタ・ベルリンといった欧州のクラブチーム、あるいは南米からはブラジルのパルメイラスも来日し、その戦いぶりが注目された。

 一方で、アジアサッカー連盟(AFC)の加盟国からも中国、ネパール、台湾、シンガポール、そしてオーストラリアのジュニアサッカーチームも招待され、国際色豊かなイベントとなっていて、こうしたアジアのクラブに注目していると、二人の日本人指導者に出会うことができた。

 中華民国(台湾)の首都・台北市に本拠を置く、EC デザフィーオ(ESPORTE CLUBE DESAFIO)の根岸翔太氏と、オーストラリアではシドニー、メルボルンに次ぐ第3の都市であるブリスベンで活動するサムフォード・レンジャースFC(Samford Rangers FC)の三上隣一氏である。二人の日本人指導者に、海外のクラブで指導することになった経緯、また、それぞれの国の育成を中心としたサッカー事情を聞くと、日本サッカーに対する評価と現在地が見えてきた。

サッカー後進国が欲する“日本人指導者”。「競技性よりも教育的なものを求めている」【EC デザフィーオ 根岸翔太氏の場合】

取材・文●山本浩之 写真●山本浩之、ジュニサカ編集部 写真提供●三上隣一


オーストラリア・サムフォード・レンジャースFC 三上隣一氏の場合

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――三上さんはオーストラリアの生まれだそうですね。

 はい。父がオーストラリアで仕事をしていた関係で、私はシドニーで生まれました。幼少期に家族で埼玉県に移住して、高校時代は三菱養和サッカークラブでプレーをしました。再びシドニーに戻ったのは大学卒業後のことです。現地で働きながら、シドニー郊外の移民の多いパラマタという私が生まれた町で、セミプロとしてサッカーをプレーする機会も得ることができました。

――仕事をしながらサッカーを続けられたんですね。きつくはなかったですか?

 たしかに日本だと仕事とサッカーを両立させるのはハードな印象がありますよね。でも、オーストラリアは2部リーグ以下だと練習は週に2回、多くても3回しかありません。セミプロ・アマチュアによってレベルの大小はありますが、どんなリーグでもある意味生涯スポーツとしてサッカーを楽しめるのはオーストラリアの素晴らしいところだと思います。ただ、私はサッカーをただの贅沢な趣味にはしたくなかったんです。サッカーが 私の生き甲斐なので、競技を継続しつつ24時間サッカーに関わる生活がしたいと思っていました。アカデミーを作ったきっかけもそういった背景があります。

――サッカープレーヤーから指導者の道を進むようになったわけですね。

 2012年にブリスベンで「豪侍サッカーアカデミー」を設立しました。最初はオーストラリアに住む日系の子を中心に、時にはアフガニスタン、シリア、スーダンといった中東・アフリカからの難民の子の中からポテンシャルの高い選手を見出して指導をしていたのですが、そういった活動を知ってか、少しずつ地元のクラブからも指導して欲しいという話をもらうようになりました。そして、縁あって去年から地元クラブのテクニカルディレクターを兼任する事になりました。それが今回来日した「サムフォード・レンジャースFC」というクラブになります。

――オーストラリアといえば広大なイメージがあります。サッカーグラウンドなどのハード面は整っているのでしょうか?

 どこまでをハード面というかはありますが、グラウンドのことに関していえば完璧だと思います。サムフォードは会員が700人程度のクラブなのですが、絨毯のような天然芝のグラウンドが4面分あります。それでも足りない状況なので、将来的には人工芝のグラウンドを作る計画もあります。また今年の3月にクラブハウスが新築され、シャワー室、カンティーン(売店・カフェ)、ミーティングルームなどが拡大し、以前のクラブハウスよりはるかに充実しました。

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