なぜ全日本少年サッカー大会は生まれたのか。大会の礎を築いた男の情熱と哲学

2017年12月22日

コラム
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いかにして『全少』は生まれたのか

——まず、全少の創設の過程とそれから、先生が少年というカテゴリーを重視されるようになった過程からお伺いしたいと思います。私も欧州で幾つか取材して来ましたが、小学校で全国大会というのは珍しい。どういう形で発展していったのかというのをお話いただきたいと思います。

「始めたのは40年前ですね。10年間スポーツ少年団大会をやってたんですが、それは学校の中の教育の線上に位置付けるということでのスポーツ少年団なんですよ。戦後も文部省、つまり国は小学校大会というのを認めていた。野球がメインだったんだけども、市外でも対抗戦があったんですよ、それが昭和24、25年を境にして、県外での対抗試合が禁止になっちゃった。

 けれども、小学校単位ではだめでも、スポーツ少年団の活躍、活動というのは、かなり越境が認められたんです。ですから、我々がサッカー少年を育てようと考え始めた時、愛媛大学の田中純二さん、この大会に長くかかわって一緒にやってきた仲間なんだけど、その方々と話をしました。

 それで、学校にお願いをしました。学校が小学校単位でもって認めてくれるというのはスポーツ少年団。スポーツ少年団という名の下に活動が許される。もう、それしか足場がなかったんですよ」

——全国で、という発想はどういった経緯が?

「ジュニアの子どもたちに、スポーツで求めるものは何なんだというと、やっぱりこれは勝ちなんですよね。そういうことを僕が言って、いろいろ批判を受けたんですけどね。やっぱり勝ちをなくしてスポーツというのは成り立たないだろうと。

 ところが、日本というのは非常にお人好しだから、特に子どもが勝ちを目指すということには、ある種、タブー化されていた時代というのがずっとあったんですよ。

 一方で僕も譲った部分があるんです。日本一は1チームだけど、讃えるのは1チームじゃなくてもいいと。讃えるのは5であれ10であってもいいという考え方まではね。だったら、1番を8つ作ったって構わないじゃないか。あるいは4つだって構わない。

 だけども、それは地域の1番であって、それで1番同士が集まって、さらに1番を作るそこまでやらなかったら中途半端なものになってしまうんだよという、念押しをしながらずっとやってきたんですよ」

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