なぜ全日本少年サッカー大会は生まれたのか。大会の礎を築いた男の情熱と哲学

2017年12月22日

コラム
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勝ちを目標にした競技会が絶対に求められてくる

——確かに日本人は結果は問題じゃないとよく言いますね。

「そう。それが日本は非常に大好きな国ですからね。でもね、オリンピックで日本の選手っていうのは、常にあがるんですよ。ベストでなかなか戦えない。ところがね、アメリカの選手っていうのは、パッと見そうじゃない。普段できないことを本番でやるんですよ。どこにその差があるんだろうと思うとね、少年時代の教育がかなり影響すると僕は前からそう捉えてきた。

 アメリカの教育というのは、まず勝つことを教えるんですね。そして、勝つことが人間教育の特性のひとつとしても考えてるんですね。ところが、日本はそうじゃない。日本人の持っている謙虚さというのかな、遠慮深さというのかな。その辺に大きな違いがある。

 だから、一時、何がなんでも勝つんだということがまず最初にありきなんだという僕の論理には、批判がありましたよ。これは指導者にもあったし、親にもあったし、それなりの識者にもありました。それが100パーセント間違いだとは思ってはいないんですが、『なぜ日本人は戦いの場であがってしまうのか』というのは実は誰でも思っていることでね。日本人ほど、きめ細かに指導するというのはこれ類をみない。日本人ほど几帳面な国民、文化はないんじゃないかと思うぐらい。そこまでやってるんだから、そこで力を発揮できないわけはない。

 では、メンタルの部分で何かあるのかとそれを探っていくと、小学校時代の教えというものが、いい部分と悪い分部があって、悪い部分がまさにそこに出てきていると思われる。であれば、勝ちを目標にした競技会がこれからは絶対に求められてくるぞというのが、僕の中にはありましたね」

——そこで、全国大会を作って、全少を構築していこうと。

「論理的にそこをはっきり謳って始まったわけではないんですけどね」

——全少以前に10回のスポーツ少年団大会が前身としてあり、そこから全少の30回まで繋がっていっている。では、その線引きは何ですか?

「スポンサーが付いた、そこでお金が出るようになった。それまでは全部手弁当だったんですよ。スポーツ少年団大会の10年間の、だいたい6回から7回ぐらいから、僕が予想していなかった反響が起こり始めたんですよ。

 子どもたちに勝ちたいという本能があるからこそ、回を追うごとに非常に盛り上がって記事になっていったんですよ。だからこそ、スポンサーが付いたんです。企業というのは、自分たちの企業イメージを上げるためにお金を出すわけですから。

 もし何も費用対効果がないものにはお金も出さないわけです。それぐらいスポーツ少年団大会時代の7回目辺りでは、かなり盛り上がってきた。で、後に読売新聞が協賛に入ったわけです。

 それで、この新しい、全少の第1回大会から大々的に各局が関わってくれました。それがどんどん発展して進んでいく中で、先ほど言ったような少年に勝ち負けを求める大会をこんなに大々的にやっていいのかと、ということで随分責められた。だけど、僕はそれは決して間違っていないと」

——信念を持っておられた。

「反論する方は、今度は、その子どもたちの伸びしろというものをどう考えているんだと言います。伸びしろを考えた時に、勝たんがための戦い方を指導者が子どもに求めた時に、子どもはいったいどうなるんだと。これは正論なんですよ」

——正論ですね。

「だけども、だったら指導者がこの子どもたちの伸びしろを今後も伸ばしてやるために、いったいどんなコーチングをすればいいのかということは、これは指導者の責任であると、僕は切り返すんですね。これも間違っていないと思いますよ。その辺りが、今、葛藤というのかな、僕自身は」

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