「最も衝撃を受けた選手」。C大阪元スカウトマンが語る、香川真司のルーツ

2018年06月21日

サッカーエンタメ最前線
タグ:  

ロシアW杯初戦のコロンビア戦で自ら獲得したPKを冷静に沈め、日本代表の”大金星”に大きく貢献した香川真司選手。そんな香川選手が飛躍を遂げた原点はセレッソ大阪時代にあります。高校在学中に加入すると、2009年シーズンにJ2で得点王に輝き、翌年にブンデスリーガのドルトムントに移籍。世界へと羽ばたいていきました。香川選手の”ストロングポイント”はどこにあるのか?なぜ獲得をしたのか?香川選手を幼いころからよく知るセレッソ大阪の元スカウトマン小菊昭雄氏(現セレッソ大阪トップチームコーチ)が教えてくれました。

文●小田尚史 写真●Getty Images

※取材 2013年

※『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.27』より転載


SARANSK, RUSSIA - JUNE 19:  Shinji Kagawa of Japan celebrates after scoring a penalty for his team's first goal during the 2018 FIFA World Cup Russia group H match between Colombia and Japan at Mordovia Arena on June 19, 2018 in Saransk, Russia.  (Photo by Carl Court/Getty Images)

衝撃を受けた香川真司との出会い

──香川真司選手が当時、セレッソ大阪に加入した経緯には、小菊さんの存在があったとお聞きしております。

 そうですね。当時、私はスカウトを担当していました。スカウトをやる前までは(セレッソ大阪の)ジュニアの監督をやっており、そのまま中1を持ち上がるという話で進んでいました。ただ、当時スカウトをされていたネルソン吉村さんが体調を崩され、そこで、私が代役として白羽の矢が刺さり、「将来間違いなくいい経験にもなると思うから」と。

 結局、そこからスカウトを4年やりました。この間、多くの指導者に素晴らしい話を聞かせてもらい、(香川)真司も含めていろいろな選手も見させてもらい、貴重な4年間でした。

──小菊さんが選手を見るにあたって、大切にしていたことは何ですか?

 一番は“本当にサッカーが好きかどうか”ということです。16、17歳の選手をチェックするにあたって、そういった選手たちは完成形ではないので、これからどう伸びるかを見ていかないといけない。もちろん、センスや技術、スピードやフィジカルという部分も見ますけど、私が一番大事にしていたのは、“どれだけサッカーが好きか”という部分。

 ずっと見続けていたら、だいたい分かります。どれだけ技術的に惹かれても、普段の練習やふとした合間に、この子あんまりサッカー好きじゃないなと感じた子どもにオファーはかけなかった。その意味で、真司は常にボールを触っていました。本当に成長する選手というのは、空いている時間にも友達を捕まえて1対1をやったり、キックの練習をしたり、コーンでゴールを作ってミニゲームしたりと、とにかくボールに触っていますね。

 2つ目に大切なことは、人間性です。プロになったとしても、どこかのタイミングで我慢しないといけない時期は必ず来る。“サッカーが好きか”という話にもつながりますけど、自分としっかり向き合って、謙虚に努力し続けることができるか。真面目にコツコツ頑張ることができるか。自己犠牲ができるか。チームのために、攻守のために働けるか。そういった人間性も見ていました。センスや体格といったことより、“サッカーが本当に好きか”と“人間性”。この2つを大事に、選手を見ていたつもりです。

──香川選手も、決して技術ありきで選んだわけではなかったと?

 そうですね。スカウトは選手を見るのが仕事ですけど、ああいう衝撃を受けたことはなかった。監督にやらされている、チームメイトに怒られるから一生懸命やる、という選手も多い中で、真司は常に自分からイニシアチブをとってやっていた。ボールに触りたい、試合に勝ちたい、という気持ちでやっていた。そういう選手は案外少ないんですよ。多くの選手を見てきた中でも、最も衝撃を受けた経験を覚えています。それくらい、真司は印象に残る選手でした。

──サッカーがうまくても、そういう面が伝わってこない選手もいる?

 そうなんですよね。いわゆる、「俺にボールをよこせ。おいしい所はやる」といった、昔のゲームメーカータイプですよね。攻撃の中心となるが、攻守ともに切り替えが遅かったり、守備は全くしなかったり、点をとれるところにランニングしないなど。

 でも、真司は技術のある選手なのに、ゴール前まで戻ってスライディングしてピンチの芽も摘んだり、チャンスならゴール前にも飛び込んでいく、そういうプレーも自然とできていました。これまで自分が気持ちよくサッカーができればいいという選手はいっぱいいましたけど、真司みたいな攻守ともにバランスのとれた選手はあまりいなかった。年代的にも中3から高1に上がる時期ですし、気づけない年ごろでもありますからね。彼はあの年代で何が大切なのかを、気づけていたのが凄い。

 私も実際に練習を見ましたけど、チームのための自己犠牲や、戦う、走る、球際を頑張る、声を出して鼓舞する。そういった彼の人間性が素晴らしかったですよ。

獲得する決め手となったのは…

──では、技術的な部分で、香川選手が優れていた点は?

 私も彼も神戸出身ということで、いろいろな関係者から、「神戸にいた小さくてうまい子が仙台に行った」とは聞いていました。実際に私が彼を最初に見たのは、彼が中3の春休み。ちょうど高校に上がる前で、高校生に混じってプレーしていました。ひと際小さい印象でしたが、常にボールのあるところには彼がいるという感じで、足を止めることがなかった。

 先ほども話しましたけど、パッと見て、“この子はサッカーが好きなんやな”ということが伝わってきたんです。もちろん相手が年上で体も大きいので、倒されることもあるんですけど、すぐに立ちあがって、果敢に奪い返しに向かっていく気持ちの強さもありました。「気持ちのいい少年やな」と、スカウトという立場を忘れて、心地良かったですね(笑)。“これだけサッカーが好きなら、この子は多分、いい選手になるやろうな”という直感から始まりました。

 技術的には、常にヘッドアップしていて、ドリブルするときの姿勢がよく、ボールを失わない。ドリブルとパスの判断もいいという印象でした。真司が育ったFCみやぎはドリブルばかり教えている、というイメージが先行していますが、実際はドリブルを優先にしながらも、判断の大事さも同時に教えていました。要はドリブルとパスを使い分けるトレーニング。真司はパスもうまく、前にボールを入れる意識も高かった。そのあと、自分で前に絡んでも行ける。止まっている時間がなかったですね。

──視察を重ねた上で、獲得する決め手となったのは何ですか?

 体は華奢でしたけど、高いレベルに置くことで、もっとレベルが上がるという確信があったからです。これだけサッカーが好きならば、絶対に努力もできるし、成長もする、と。獲得するにはチームの問題、学校の問題、親御さんの問題など、いろいろありましたけど、すべてはシンプルに話は終わりました。まず、FCみやぎ側が快く真司の出世を理解してくれましたし、両親にご挨拶に伺ったときも、「真司に任せますので」と1分ぐらいで話は終わった。真司本人も、「チャレンジしたいです。一日でも早く、サッカーがうまくなる環境でトライしたい」と。それが彼の返事でした。それからは、話は早かったですね。手続きを済ませて、加入会見をして、寮に入れました。

──ご両親の香川選手への信頼という点も、香川選手にとっては心強いですね。

 お父さん、お母さんは常に真司の考えをリスペクトしてサポートしてあげていました。今もそうですよ。真司がやりたいように、陰で本当にサポートされています。そういう家庭環境も、彼が育った大きな要因でしょうね。教育という面では厳しいですけど、ことサッカーに関しては、“自分が楽しく、好きなようにやってほしい”という考えでした。

──中学校から仙台へ行くのも本人の自主性に任せたとか?

 そうですね。親が主導ということは結構多いですよね。“アナタはどこのユースに入りなさい”、“街クラブのどこに行きなさい”ということもある。そうなると、それで芽は摘まれるかもしれない。子どもは可能性を秘めています。私だって、真司がここまでの選手になるとは思っていませんでした。選手には未来がある。ある程度の道を示す必要はあるけど、100%の道を親が示す必要はないのかな、とは思いますね。

彼は決して天才ではない

──当時、香川選手を獲得するにあたって、不安面はありましたか?

 やっぱり、体格面は気になりました。彼にも両親にも、その話はしました。技術的に言えば、間違いなくでき、努力すれば、数年後はセレッソの中心選手でやれると。ただ、フィジカル的には少しきつい。体のサイズは逆にメリットにできる部分もあるけど、スピードに関しては懸念していました。でも、今ではそこをオハコ(十八番)にしているので、本当に凄いですよね。

──懸念された部分を伸ばすために、アドバイスなどしたことはありますか?

 いえ。すべては本人がマイナス面を自覚して、食事、トレーニング、休息から努力した結果です。「何か特別なトレーニングをさせたんですか?」と聞かれても、トレーニング自体は他のチームとそれほど変わらない。真司がどう取り組んだか……それに尽きます。こっちがストップをかけないといけないくらい、彼は一日のトレーニングを目いっぱいやっていました。根本には、“サッカーが好き”という思いがあるからでしょう。そのために、どう自分と向き合って努力するのか。

 過去にも個に秀でている、いい選手は入ってきましたけど、大きく成功しなかった選手は努力することができなかった。成功した選手は、目標や夢のために、コツコツ努力ができるんです。だから、真司は決して天才ではないですよ。本人も凄くその言葉を嫌いますからね。自分がいろんなことを犠牲にしてきた自負がある。努力で時間をかけて幼少期から積み上げてきたかけがえのない時間がある。それを一言で“天才”とくくられるのは嫌がります。実際、真司には失礼ですけど、彼より期待をかけて獲得した選手もおり、当時、決してトップレベルの選手とはいえませんでした。でも間違いなく彼ほどストイックに努力できる選手はいなかったですね。

──では、当時のスカウトという目線から、小学生年代の子どもに伸ばしてほしいことは何でしょう。どうすれば、香川選手のような選手に近づけるのでしょうか。

 一番は、何度も申し上げていますけど、サッカーを大好きになってほしいということ。そうなれば、自然とボールを触る回数も増える。サッカーを大好きになる環境を周りも作ってあげてほしい。そしてたくさんほめること。技術的な部分でいえば、個の技術を伸ばすこと。止める、蹴る、運ぶの基礎技術とボールフィーリングを徹底してトレーニングしてほしいですね。

真司は「明るく笑顔で誰とでも入っていける人間力と語学力がある」

──ジュニア年代は、サッカーを好きになる環境が一番ですか?

 そうですね。ジュニア時の指導者や環境は、選手を育成する土台としては本当に大切。私もジュニアの監督をやっていましたけど、極論すれば、教えないことですよね。それくらいに思っていました。環境を作ることが私たちの仕事。いかにサッカーを好きになる環境を作ってあげられるか。そして、その環境の中で個の技術を磨くこと。どうしたらうまくいくか、子どもたちで考えさせることが大事です。ミスしたときに「ああしろ、こうしろ」と言えば、その場では解決できるかもしれません。しかしそうなると、自分でまた問題にぶち当たったときに、考えて工夫して解決する能力が磨かれません。いかに我慢強く待ってあげられるか。気づかせてあげられるか。

──指導者は自己満足にならないことが大事?

 ミスした子どもは自分が一番分かっていますよ。それに指導者がワーワー言い過ぎると、委縮してサッカーを好きになれない。そういうことが弊害で伸び悩む選手もいる。最悪の場合はサッカーを嫌いになってしまいます。昔に比べると、そういう指導者は少なくなっているとは思いますけど、いまだに多いんですよね。昔はそれが指導者としての文化みたいなこともありました。でも、今は8人制サッカーになり、“勝ち負けだけじゃない”という風潮もある。もちろん、勝ち負けも要求はしていかないといけないですけど、ジュニア年代はそこだけではない。自分の経験上、サッカーを好きにさせることがジュニアでは一番大事だと思っています。

──親御さんが口を出すケースも多いと聞きます。

 ジュニアの指導者をやっていたとき、試合中、ハーフタイムに怒りに来る親御さんもいましたし、「なんでウチの指導者は言ってくれないのよ! 言ってくれないなら、私たちが怒ろう」という親御さんもいました。そういうのを変えていくのが私たちの仕事だと思っていました。簡単なことではないですけどね。子どもにとっては、お父さんやお母さんと一緒にいる空間が一番長いので、まずはそこの意見が最優先されるべきではありますけど、子どもは親にやらされているのではありません。自分が好きなサッカーを選んでやっているのですから、親御さんには、「怒るのではなく、ほめてあげて下さい、サッカーを大好きにさせて下さい」と伝えたいですね。

 いい選手というのは常に考えています。ミスしても、自分で考えている。怒るのではなく、練習の中から気づかせることが大事。もちろん、無責任なプレーをすれば怒る必要はありますけど、ミスに対して怒ることは、ジュニアサッカーでは必要ないというのが、私の見解です。“怒らない”ということに関しては違う意見の人もいると思いますけど、私はそう思います。

──最後に香川選手のように、日本を越えて世界に飛び出すために大事なことは何でしょう。

 根本は同じですよね。サッカーを好きであることと、人間性。加えて、海外ではコミュニケーションもより大事になります。そういう部分でも真司は器用に入って行けるし、コミュニケーションはとれますからね。

 以前こういったことがありました。真司がセレッソのキャンプに初めて参加したとき、彼は何を思ったのか、3人のブラジル人選手の席でご飯を食べていました。もちろんポルトガル語は喋れないですけど、何かしらコミュニケーションをとりたかったんでしょうね。私の中で鮮明な出来事として覚えています。

 今も、そういう努力は常にしていると思います。海外で活躍するには、人間性とコミュニケーション能力、そして語学力でしょうね。“夢はJリーガー”ではなく、“夢はバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド”という時代ですから。レヴィー(・クルピ監督)も若手には常に言っています。「本当に海外行きたければ、英語を勉強しろ」と。明るく笑顔で誰とでも入っていける人間力と語学力。その典型が真司じゃないですか。彼自身、語学力はまだ向上しないといけないかもしれませんが(笑)。

LUGANO, SWITZERLAND - JUNE 08: Shinji Kagawa of Japan in action during the international friendly match between Switzerland and Japan at the Stadium Cornaredo on June 8, 2018 in Lugano, Switzerland.  (Photo by Masahiro Ura/Getty Images)


<プロフィール>
小菊昭雄(こぎく あきお)

1975年、兵庫県出身。1998年からセレッソ大阪の育成組織でコーチとして携わり、2001年にU-12/13監督を任される。その翌年からセレッソ大阪のスカウトを担当していた。


プロフィール
香川真司(かがわ しんじ)

少年時代:マリノFC/東舞子SC/神戸NKサッカークラブ
中学時代:FCみやぎバルセロナジュニアユース
高校時代:FCみやぎバルセロナジュニアユース

1989年3月17日、兵庫県生まれ。MF。小学5年生から東舞子SCを経て、神戸NKサッカークラブに入団、県選抜にも選ばれた。中学生から高校2年生まで、仙台にあるFCみやぎバルセロナに所属。高校2年生の終わりにセレッソ大阪へ入団。2年目、当時のクルピ監督の目に留まり、レギュラーに定着。J2に35試合出場し、飛び級でU-20ワールドカップ日本代表にも選ばれた。08年に平成生まれとしては初めてA代表に選出され、同年の10月に行われたキリンチャレンジカップ対UAE戦で代表初ゴールを決めた。09年にJ2得点王に輝いたのち、ドイツ・ブンデスリーガへ。新天地でも見事にチームにフィットして、中心選手として活躍。2012年夏、マンチェスター・ユナイテッドへ移籍。現在はドルトムントでプレー。
 


 

カテゴリ別新着記事

お知らせ



school_01 都道府県別サッカースクール一覧
体験入学でスクールを選ぼう!

おすすめ記事


Twitter Facebook

チームリンク