“生粋の負けず嫌い”南野拓実の少年時代。「なんで俺を交代さすんや。もっとやらせて。俺、サッカー好きやねん」

2018年10月17日

コラム
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16日(火)に行われた親善試合ウルグアイ戦で3戦連続弾を含む2ゴール――。10代の頃から注目されてきたその才能が覚醒しつつある南野拓実(レッドブル・ザルツブルク)。森保ジャパンの中でもひときわ異彩を放つ男は、どんな少年時代を送っていたのだろうか。

『僕らがサッカーボーイズだった頃3』より一部抜粋

取材・文●元川悦子 写真●Getty Images


SAITAMA, JAPAN - OCTOBER 16: Takumi Minamino of Japan in action during the international friendly match between Japan and Uruguay at Saitama Stadium on October 16, 2018 in Saitama, Japan. (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)

物心つく前からボールを蹴っていた

 関西国際空港に程近い大阪府泉佐野市。大阪市内のベッドタウンとして名を馳せるこの町で南野拓実は生を受けた。その日は奇しくも阪神大震災の起きる前日の1995年1月16日。両親も慌ただしい状況下での子育てとなったに違いない。

「僕の名前は『自分で開拓して実るって意味だ』と小さい頃、親に聞かされました。名前負けせえへんようにしないといかんと思いましたね」と南野は命名の由来を打ち明けるとともに、生きる決意を新たにしたという。

 南野家には三つ上に兄がいて、幼少期の拓実少年は兄の後をついて回る、活発な子どもだった。

「兄貴とはよくケンカしていました。兄貴と友達が遊んでいるところに僕がついて行こうとすると、『来るなよ』と言われて、それに反発する感じですね。でも結局はついていくことになっていました(笑)。サッカーもそんな流れで始めたのかな。兄貴たちと一緒に、物心つく前からボールを蹴っていました」

 通っていた熊取町のフレンド幼稚園で本格的にサッカーを始め、同幼稚園を母体としたゼッセル熊取に入るのは、ごく自然の成り行きだった。杉山代表はチームに成り立ちを次のように説明する。

「ゼッセルの前身のチームは1980年代からありましたが、活動が小3までで、約20年間は我々が任意で小4以上を指導する形をとってきました。2002年にNPO法人化して、ジュニアとジュニアユースを持つクラブとしてようやく組織的な運営ができるようになりましたね。泉南地区はクラブが少なく、大阪でも少しレベルが低かったので、少年たちの一つの受け皿になったと思います」

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