今、指導者に何が求められているのか?サッカーを“サッカー外”から学ぶ重要性

2018年12月06日

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今、日本社会全体に「スポーツの在り方」が問われている。今年5月に起きた日本大学アメリカンフットボール部の「悪質タックル問題」、11月には沖縄県の小学生サッカーチームの監督が少年2人の頭を蹴ってケガを負わせたとして書類送検されていたことが明らかになった。どの事件も「日本社会の縮図」のような事件だと言えるのではないだろうか。なぜスポーツの現場でそうした問題が起こるのか。本来「楽しい」はずのスポーツ活動がなぜ苦行になってしまうのか。少しでもこういった事件をなくために、我々大人たちは何を伝えなければならないのだろうか。改めて考えていきたい。

【連載】「サッカーを“サッカー外”から学ぶ重要性」

企画・文●大塚一樹 写真●Getty Images、ジュニサカ編集部


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スポーツ指導は転換期に。もちろんサッカーも対岸の火事ではない

 2018年は、スポーツにまつわる問題、不祥事が公然化した年だった。世間を大きく騒がせた日大アメフト部の危険タックル事件、レスリング協会、体操協会のパワハラ問題、ボクシング連盟の不正問題……。興行や神事という側面を持つ大相撲の一連の騒動は多少事情が違うが、これもまた「スポーツとそれに関わる組織の問題」という大きなくくりで語られた。

 それぞれの問題にはそれぞれ個別の事情や経緯があるので軽々に善悪で語ることはできないが、東京オリンピック2020を控えた現在、日本社会全体に“スポーツの在り方”が問われ、注目が集まっているのは間違いない。

 サッカー界も、こうした問題を「対岸の火事」と傍観しているわけにはいかない。

 例えば、日大危険タックル問題の核心部である「つぶせ」という言葉。そのまま発するかどうかは別にしても「相手を潰すような気持ちで行け」「気持ちで負けないで削ってこい」など、勝負が絡めば受け取りようによっては誤解を生むような言葉がサッカーの現場でも使われがちだ。

 実際に、傷害事件として捜査された日大危険タックル問題でも、「つぶせ」という言葉には意図的にけがを負わせる指示があったとは認定されず、警視庁はアメリカンフットボールでは「つぶせ」という言葉が「思いきりいけ」という意味で広く使われているという見解を示した。ここにスポーツと一般社会の大きな乖離があるのだが、その他の不祥事も指導者への盲従を強いたり、暴力や相手を追い込むような言葉を指導の手段と勘違いしている旧態依然としたスポーツの指導法にそもそもの根っこがある。

 サッカー界は、指導者ライセンス制度をはじめ、コーチングスキルとその向上に関しては他競技からお手本とされる面もあるが、11月には沖縄の少年サッカーチームの監督が少年2人の頭を蹴ってけがを負わせ書類送検されていたことが明らかになったように、ジュニアサッカーの現状を見てもすべての現場でそれが機能しているとは言い難い。

 暴力や暴言、パワハラについては、日本だけの問題ではないし、時代を問わず容認すべきではないが、社会構造が大きく変わり、価値観が変化している今、社会におけるスポーツ、私たちの関わるサッカーの在り方や、役割もまた見直されるべきタイミングに来ているのは間違いない。
 

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