「お前なんか絶対に一流になられへん」。”努力家”本田圭佑の原点【前編】

2018年06月16日

コラム
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「お前なんか絶対に一流になられへん」

 とりわけ兄に対してはライバル意識を前面に押し出した。

「兄貴には絶対に負けたくなかった。摂津FCの練習はもちろんのこと、毎日一緒に日が暮れるまでサッカーしていましたからね。1対1を延々とやるんですけど、俺のほうが体が小さいから、工夫しないと兄貴には勝てないでしょ。それでいろんな知恵やアイデアを絞りましたね。もちろん負ける回数は圧倒的に多いけど、他の兄弟に比べて俺のところは下剋上の数が多かったのかな(笑)。全く歯が立たなかったってことはなかった。兄貴は兄貴の世代では間違いなく優れていたけど、俺はそれに勝つつもりでやっていた。ホンマにすごく負けず嫌いでしたよね」

 関西サッカー連盟3種(中学生年代)委員長を務めていた田中監督との出会いも、前述の通り、弘幸さんを通してだった。兄が通学区外にある摂津二中のサッカー部に越境で入ったのを機に、小学4年生の本田は摂津FCの練習の後、中学のグラウンドへ向かうのが日課になった。

  田中監督は初めて彼を見たときのことを、今もよく覚えている。

「弘幸についてきたちっちゃいのがちょろちょろしているんで、『お前、弟か』と声をかけたのが最初でした。週末は摂津二中の試合後、選手同士が自発的にミニサッカーを始めしたよ。僕は何でもやりたがる子やから、率先して周りを引っ張っていました。何事もやるからには一番になりたいと思っていました」  

 本田があらゆる面でトップにこだわったのは、父・司さんの影響が極めて大きい。

 「一番になれ!」
 
 それが、父親の口癖だったのだ。

「親父にはキリがないくらい、いろんなことを言われたけれど、それは重要なキーワードのひとつです。『お前が休んでいる間にブラジルでは練習しているぞ』と言われたこともありました。ようは人の上に行きたければ、人より一生懸命やらなきゃダメってこと。当たり前のことだけど、それを何度も何度も繰り返し教えてもらったのは大きかったです。
 
 摂津FCの試合もごくたまに見に来てくれたけれど、その後は悲惨でした。『お前の試合は全く見れへん』とか容赦なく言われましたから(苦笑)。そういう人だけど、親父から僕は男としてどうあるべきか、カッコいい男とは何かを学びました。

 本田家っていうのはとてつもない一家で、厳しいのは親父だけじゃなかった。おじいちゃんにも『お前なんか絶対に一流になられへん』『甘い』と毎日怒られていました。俺と兄貴がウチで寝ていると『外走ってこい』と。『お前らみたいな休んでいるやつがなんで一流になれるんや』と言われてね。僕は小さい頃からそんな家族に認められたい一心だったかもしれない。毎回『見返してやる』って思っていましたから」

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