トップがダメだとクラブは崩壊する。奈良クラブのGMが胸に秘めるサッカーへの想い

2019年03月01日

インタビュー

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【奈良クラブのゼネラルマネージャーに就任した林舞輝氏。】

サッカーが面白いという思いがすべて

――大学以降のお話は、他のメディアにもいろいろ出ているので割愛しますが、今はGMの立場になって、指導者ではなくなったのでしょうか。

 指導者を辞めたという意識はありません。まず指導者を始めたという意識もなかったですし。サッカーの楽しみ方が変わっただけです。今日もトップチームの練習で指導をしましたよ。杉山(弘一)監督が「今日のシュート練習は舞輝やって」みたいなことがあるので。

――アシスタントコーチのような形でやっているということですか。

 そうですね。僕はGM兼コーチみたいな感じでやっていますね。

――じゃあ指導者を辞めてはいないんですね。

 どうなんだろう、辞めたのかな……。そもそも指導者になろうって思ったことは一回もないので。

――ただサッカーが面白くて、気づいたらやっているみたいな感じですか。

 そうですね。「海外で監督になりたい」みたいなことは一度も思ったことはないですね。好きだからやっているだけで、志みたいなものは正直ないので。

――逆にいうと、ある意味自然体でサッカーに関わり続けてられているのは、幼少期にサッカーそのものの魅力をお母さんから学んだのが大きかったんですね。

 そうですね。テレビを見ていても父と母がずっとサッカーの話をしますからね。誰も聞いてないのに「これからの日本サッカーはこうだ」みたいな話をしていましたから。プレーした時もプロになりたいと思ったことはないし、向こう(海外)に行ってコーチをやっている時もどこかのコーチや監督になりたいと思ったことは一回もないですね。サッカーが面白いという思いがすべてです。興味のないサッカーの試合は見ないですし。「月曜から夜更かし」とか「あまちゃん」を見ているほうが面白いので。

――それは意外でした(笑)。

 逆にいい試合は「あまちゃん」の神回を見る感じでサッカーを見ていますね。

――サッカーとの関わり方がいくつもあるなかでもGMという形を選んだのは?

 結局、上がダメだとマンチェスター・ユナイテッドであろうと、モウリーニョだろうと崩壊するというのは何となく以前から察していました。

 ならいつかそういう立場をやりたいなと、ふわっと思っていたんですよ。あとは時代は移り変わって、昔は選手vs選手の戦いだったのが、監督vs監督の時代になった。そしてこれからはクラブvsクラブの時代になると思っています。なら監督だけではなく育成とか他の業務もやりたい。GMだとそういうことも含めて色んなことができる。

 ただそういう立場になるにはヨーロッパで圧倒的な成績を残さないといけない。50歳くらいに日本のクラブから「うちのクラブを強くしてください」みたいな声がかかるまで、ヨーロッパで頑張ろうって思ったら、まさかの23歳でその話がきたんですよ。

――中川(政七・株式会社奈良クラブ代表取締役)社長の慧眼によって、30年早まったんですね。本日はためになる話を本当にありがとうございました。さすがにぶっ飛び過ぎていて、真似はできそうにありませんが、逆にいうと真似することが難しいことがよく伝わったことが収穫でした。本当に色々とありがとうございました。

 こちらこそありがとうございました。


【プロフィール】
林舞輝(はやし・まいき)
 
1994年生まれ、24歳。日本の都立高校卒業後にイギリスの大学に留学。スポーツ科学を専攻し、チャールトンのアカデミー(U-10)とスクールでコーチ。首席で卒業後は2017年よりポルト大学スポーツ学部の大学院に進学して、ポルトガル1部リーグに所属するボアビスタのBチーム(U-22)のアシスタントコーチを務め、ジョゼ・モウリーニョが責任者・講師を務めるリスボン大学とポルトガルサッカー協会主催の指導者養成コース「HIGH PERFORMANCE FOOTBALL COACHING」の日本人初の受講生に。2019年より奈良クラブ(JFL)のゼネラルマネージャー(GM)に就任した。


 

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