司令塔・遠藤保仁選手に学ぶ“プロ”の哲学

2016年03月28日

コラム

ワールドカップは特別なもの

 2014シーズンには当時34歳でJリーグのMVPに選出。アジアチャンピオンズリーグで初優勝した2008年には、アジア年間最優秀選手にも輝くなど国内外で頂点に立った経験を持つ遠藤だが、「プロ1年目にしてクラブがなくなってしまった」という失望や、ワールドカップのドイツ大会ではフィールドプレーヤーで唯一ピッチに立てなかった悔しさも味わってきた。そんな遠藤を支えてきたのは確かな「しっかり止めて、しっかり蹴る」という基礎技術と闘争心だ。プロサッカー選手を目指す子どもたちにとって不可欠な要素を遠藤はこう考えている。

「大前提は楽しんでやることですね。でも、最近はトリッキーなプレーをしたりするのがクローズアップされがちですけど、プレーの基本ができていないと、上のレベルに行けば行くほど通用しないんです。僕も、小さい頃『止めて、蹴る』というのはとことん練習させられましたからね。

 もちろん、ワールドカップなんかを見て、自分が好きな選手のプレーの真似をしたこともありますけど、基本練習はどれだけやっても、損はないですから。やっぱり、基本練習は非常に重要性を増すかなと思っています。それプラス、気持ちが強くないとできないスポーツなので技術面ももちろんですが、メンタル面もどんどん強くなってほしいなと思います。負けず嫌いなことはいいことですし、目の前の試合に絶対勝つ、って思うことも必要です。プロを目指す子どもたちにもそういう気持ちを感じながらやってほしいです」

 遠藤選手は男三兄弟の末っ子だ。地元の鹿児島では「遠藤三兄弟」と言えばサッカー界で知られた名だった。長男の拓哉さんは高校サッカー界の名門、鹿児島実業高校サッカー部で背番号10を託された選手。そして次男の彰弘さんもプロ選手でアトランタ五輪では日本代表の背番号10をつけてプレーした。そんな兄二人が憧れの選手だったと公言する遠藤は、どのようにプロサッカー選手への夢を温めて来たのだろうか。

「僕が子どもだったころは、まだJリーグも存在していませんでしたけど、小さい頃からワールドカップの映像などは見ていました。それに、身近な存在でサッカーをしていた兄貴たちの影響もあって、小学生の高学年の頃には漠然とですけど、サッカーで飯を食べて行ければいいなとは思っていました。

 リアルタイムで見て印象に残っているワールドカップは1990年のイタリア大会で、優勝した西ドイツやアルゼンチン、そして個人的な選手としてはストイコビッチなんかに注目してみていました。将来サッカー選手になりたい、と思ったのもこの時期です。

 高校の時にはもうプロになりたいと考えていましたけど、将来の夢を抱くというよりは日々の辛い練習をどう耐えるかということ で手一杯でした(笑)。ただ、小さい頃から僕はサッカーが辛いって思ったことがなかったんです。ワールドカップはやっぱり、僕にとって特別なものですね。小さいときにワールドカップを見てサッカー選手になりたいと考えましたし、その頃からいつか、ワールドカップに出たいという気持ちは強かったです」(続きは『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.40』でお楽しみください)。


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