家族内コミュニケーションは「価値観の共有」。ジュニサカMIPに見る“親子の会話”

2018年03月26日

コラム

ジュニサカMIP追取材003
【週末の自主練をたのしそうにこなす須田耀介くん】

「負けるが勝ちのときもある」

 3月11日の日曜日は、都内でもほんのりと春の気配を感じる暖かさだった。待ち合わせをした世田谷区にある公園では、須田康嗣さんと耀介くんがサッカーのトレーニングをしていた。とはいえ園内の芝生広場では本格的なサッカーをすることはできない。だから二人はラダーやマーカーを使ったアジリティやボールリフティングなどを中心に取り組んでいた。

「土曜日や日曜日などの休みのときは、この公園で過ごすことが多いですね。朝から夕方までいるときもあります。そんなときはお弁当を用意してくるんです」と康嗣さんは言う。小さなレジャーシートを敷いた横にはクーラーボックスが置いてあった。耀介くんは、その中から缶コーヒーを取り出すと「山本さん、どうぞ!」と言って手渡してくれたのだ。

「相手の名前を呼ぶことで、相手も自分の名前を呼び返してくれますよね。大人の社会でも名刺交換など挨拶のときには、相手の顔と名前を一致させることから始まります。相手の顔と名前を覚えて、自分の顔と名前を覚えてもらうことが挨拶の第一歩となるからです」

 康嗣さんの交友関係は幅広く、耀介くんも大人の食事会に同席する機会もあるという。そうした環境の中で自然と身についていったことなのかもしれない。

「例えば、耀介が大人と話しをしていても、僕は放っておいちゃうタイプなんですよ(笑)。もちろん(放っておくのは)心配ではあるんですけれど、(大人との会話や付き合いの中で)間違うことがあったとしても、その失敗から学んでもらえればと思うんですね」

 康嗣さんは、“負けるが勝ち”ということを耀介くんに言い続けている。失敗は次へのスタート。負けを良くないと捉えるのではなくて、負けた原因は何だったのかと分析して、自分が成長するためのステップにすることができる。負けから学ぶことは多いというわけだ。

「僕は父親から“負けるが勝ち”、そして“人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)”という二つことを繰り返し言われてきました」

 人間万事塞翁が馬とは「何が禍福に転じるのか分からない」との故事成語。人生では、幸せだと思っていたものが禍(わざわい)を招いたり、禍の原因だと思っていたものが、実は幸せを呼ぶものであったりするとの意味を持つ。

「僕も父親との関わりは深かったかもしれません。期待されて、手をかけて育ててもらったのでしょうね。僕の子どもの頃には、教育に対しての厳しさが世の中にありました。それは現代の価値観とは異なるものです。だからと言って、今の価値観だけの教育も不安です。耀介の10年後、あるいは20年後を見据えて、そのときのイメージも持った子育てをしていかないといけないと思っています」

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