「自分は一番下手だった」。大島僚太が日本屈指のMFにまで成長できた理由

2018年06月08日

コラム
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「2018 FIFAワールドカップ ロシア大会」のメンバーに選ばれた大島僚太選手(船越SSS/静岡学園中/静岡学園高)。ボランチでフル出場した国際親善試合のガーナ戦では、広い視野と正確なパスで日本代表の攻撃を牽引。本大会での活躍も期待できるパフォーマンスを披露してくれました。そんな大島選手が「静岡学園で一番下手だった」と自負する位置から日本代表に選ばれるまでに成長できた理由はどこにあるのでしょうか。静岡学園中で指導した井田勝太郎氏が教えてくれました。

再構成●ジュニサカ編集部 文●鈴木康浩 写真●GettyImages

『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.48』より一部転載。


SAITAMA, JAPAN - SEPTEMBER 01:  Ryota Ohshima of Japan in action during the 2018 FIFA World Cup Qualifier Final Round Group B match between Japan and United Arab Emirates at Saitama Stadium on September 1, 2016 in Saitama, Japan.  (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)

清水エスパルスではなく静岡学園へ

 川崎フロンターレの大島僚太選手が生まれた静岡県清水市は全国有数のサッカーどころだが、大島選手は小学生のときに飛び抜けた存在ではなかった。

「これは本人が認めていますが、清水では毎年、清水FCという小学生の選抜チームが30~40人ほどで活動していたのですが、彼は 30番~40番というレベルの子どもだったようです」
 
 証言してくれたのは大島選手が中学時代にサッカーに励んだ静岡学園中で指導した井田勝太郎さん。静岡学園といえば静岡学園高から数々のJリーガーを輩出する名将、井田勝通監督が有名だが、勝太郎氏はそのご子息に当たり、中学時代の大島を指導していた。
 
 清水のトップオブトップの子どもたちはJクラブの清水エスパルスのジュニアユースに進むのが王道だが、大島選手はセレクションのない静岡学園中に進んでいる。

「入ってくる子どもたちはみんな『静岡学園でサッカーがやりたい』という思いをもった子どもばかり。彼にも揺るぎない思いがあったと思います」    

 個々のスキルのレベルを上げ、テンポのよいパス回しを主体に相手を攻略するサッカー。当時から身長が小さく、スピードもなかった当時の大島選手が、フィジカルを活かすサッカーを良しとする環境に身を投じていれば原石は埋もれてしまっただろうが、大島選手には小学生の時点で自分に合う、やりたいサッカーを選ぶ確固たる意志があった。

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