「自分は一番下手だった」。大島僚太が日本屈指のMFにまで成長できた理由

2018年06月08日

コラム
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「静岡学園で一番下手だった」

 とはいえ、大島選手が「静岡学園で一番下手だった」と自負する位置から、将来、日本代表に選ばれるまでに成長するのは並大抵ではない。他の選手ともっとも差があり、秀でていたものは何だったのだろう。取材を通じて井田氏に深い記憶を辿ってもらったときに出てきたのが、大島選手の「素直さや謙虚さ」だった。

「清水FCで自らを『30番~ 40番だった』と捉えていたり、静岡学園中に入ってから『自分は一番下手だった』と振り返っていたり。プロになってからも 『(川崎フロンターレの)憲剛さんや大久保さんが本当にうまいんです』と目を輝かせて話しているんです。彼は本当の意味での素直さや謙虚さを持っているし、それでいて内に秘めた闘志もある。それは、他の選手にはなかなか持てないものかもしれません」
 
 静岡学園中に集まる選手たちは、大島選手同様、足が遅かったり身長が小さかったりする選手が少なくない。みんなが静岡学園のスキルフルなサッカーに憧れ、テクニックを磨こうと集まる。大島選手の代は例年よりもフィジカルで劣る選手が多く、当初、対外試合になかなか勝てなかったという。

「高3のときに追い越してやろう!」
「身体や体力的なものは後から付いてくる。今は技術を磨いて、最後に俺たちがテクニックで打ち負かしてやろう!」
 
 それが静岡学園が中高の6年間で一貫している伝統的な考え方だ。負けたときの悔しさを押し殺しながら、大島選手は自らの技術を磨くことに黙々と打ち込んだ。

「大島って、こんなにうまかったっけ?」
 
 そんな声が漏れ始めたのが中三の夏過ぎだったという。そして静岡学園高に進んでレギュラーを掴んだ大島は、卒業と同時に川崎フロンターレ入りを果たした。大島の努力と、大島の成長にとって適切な環境が成長の足掛かりとなった。


<プロフィール>
大島僚太(おおしま りょうた)

小学校時代:船越SSS
中学校時代:静岡学園中
高校時代:静岡学園高

1993年1月23日、静岡県清水市出身。静岡学園中、静岡学園高を経て、2011年に川崎フロンターレ入り。2016年のリオ五輪代表。同年、UAE戦にA代表初出場。2017年は川崎の10番としてチームのJ1初制覇に貢献した。


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