親元を離れ山梨から京都へ。サッカーも勉強も両立した京都サンガ・川崎颯太の“プロになるための覚悟”/ユースプレイヤー成長記~番外編~

2020年03月05日

育成/環境
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2019年10月9日、京都サンガF.C.は、2020年シーズンの新加入選手として、京都サンガF.C.U-18でキャプテンを務める川崎颯太選手のトップチームへの昇格内定を発表した。ジュニア時代はヴァンフォーレ甲府U-12の一員として全国の舞台を数多く踏んできた選手だけに「ジュニアサッカーを応援しよう!」との縁も深い。プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる川崎颯太選手。彼が歩んできた道のりをご両親の話を中心にたどってみた。

文・写真●山本浩之


川崎(チビリン)

 川崎選手を初めて取材したのは2013年の春になる。3月24日、『JA全農杯チビリンピック』の関東大会が山梨県昭和町の押原公園で開催された。川崎選手の所属するヴァンフォーレ甲府U-12はグループリーグを3戦全勝した。決勝の相手は東京ヴェルディジュニアだった。すでに両チームとも全国大会への進出は決めていたが、負けず嫌いの少年たちには関係ないことだった。東京ヴェルディには、19年度に飛び級でトップチームへ昇格した山本理仁選手をはじめ、今シーズンからトップに上がった石浦大雅選手、松橋優安選手、ジュビロ磐田に入団した吉長真優選手らが名を連ねていた。強度の高いサッカーが繰り広げられ決勝戦は、1-2でヴァンフォーレ甲府の敗戦となった。

 すぐ翌週、ヴァンフォーレ甲府は駒沢オリンピック公園で行われた『ダノンネーションズカップ』の決勝大会に参加した。準決勝まで進み名古屋グランパスU-12と対戦したヴァンフォーレ甲府は、1点ビハインドで迎えた後半のロスタイムに川崎颯太選手のゴールで同点に追いついたのだが、PK戦の末に敗れ3位だった。

 5月にはチビリンピックの全国大会に出場し決勝トーナメントに勝ち進んだ。あと1勝すれば日産スタジアムのピッチで決勝を戦うことができる。しかし準決勝で、松岡大起選手(現:サガン鳥栖)擁するソレッソ熊本と対戦したヴァンフォーレ甲府は、再度PK戦までもつれ込んだが勝ち切ることができなかった。
 
 2013年も夏になると、ヴァンフォーレ甲府は『第37回全日本少年サッカー大会』の決勝大会に山梨県代表として出場を果たした。2009年に設立されたヴァンフォーレ甲府U-12にとって初めての“全少”は、時之栖スポーツセンター裾野グラウンド(静岡県裾野市)で行われた。予選リーグの3試合を無失点で勝ち抜けたヴァンフォーレ甲府だったが、準々決勝で立ちはだかった壁はまたしてもソレッソ熊本だった。松岡大起選手に先制点を許したヴァンフォーレ甲府は0-2で敗れて“全少”の夏を終えた。

――そんな7年前の“あと一歩”の思い出を振り返りながら、クルマを中央自動車道の長野・松本方面に走らせていると、笹子の長いトンネルを抜けて一宮御坂のインターチェンジを過ぎたあたりで視界一面に甲府盆地がひろがってきた。この物語の主人公である川崎颯太選手が生まれ育った町がそこにある。

 甲府市街に入ってほどなく、川崎家に到着した。本人は京都サンガの沖縄キャンプで不在。父・由太(ゆうた)さんと母・亜矢子(あやこ)さん、妹・楓佳(ふうか)さんが迎えてくれた。ご家族に出会ったのも7年前になる。

子どもらしい子どもだった幼少期から、サッカーに夢中になっていくフォルトゥナ時代

 颯太くん――ここからしばらくは“川崎颯太選手”ではなく“颯太くん”と書かせてもらいたい――その颯太くんは2001年7月30日に山梨県甲府市で生まれた。

「僕が由太だから“太”というのは決めていました。あとは響きのよさですね」と由太さんは、“たつへん”に風と書く“颯”の字に、逆風にも立ち向かえるたくましくさをこめた。

「呼びやすく、呼ばれやすく、みんなに覚えてもらえるようにというのもありますね」と母・亜矢子さんが付け加えた。お二人のあいだにある話し出すタイミング、“間”といったものが会話を心地よく進めてくれる。

「僕がサッカー好きでしたので、息子にはサッカーをやらせたいなと思っていました。そこで颯太が1歳の誕生日に日韓ワールドカップの記念ボールをプレゼントしたんです。最初のサッカーボールだったから大事にしていたのですが、いつの間にかなくなってしまったんですよ」

 由太さんが穏やかな声で話すと、亜矢子さんが明るく話を受け継いだ。

「颯太は近所の公園にサッカーボールを持っていくんですけれど、友達がたくさん遊んでいるので、一緒に虫捕りをしたり、トンボを追いかけまわしたりしているうちに、ボールを公園に置き忘れたままにして帰ってきちゃうんですね。そんなでしたから――小さいときの颯太はいつもサッカーをしていたような子ではなかったですね」

 颯太くんは幼稚園に入園すると、ヴァンフォーレ甲府のサッカースクールに通うようになった。当時、開校して2年目のスクールはヴァンフォーレ甲府がJ1に昇格した年でもあり人気が高く、颯太くんもキャンセル待ちをした。

「年中の途中になって、やっと順番が回ってきたので、さぞ一生懸命にサッカーをやっているだろうなと思って、こっそり様子を見に行ったら、ゴールにぶら下がっているんです」と由太さんは笑う。「そうそう、砂山をつくっていたりね」と亜矢子さんも懐かしそうにほほ笑んだ。

 颯太くんは小学校に入学すると、地元のフォルトゥナ・サッカークラブに入った。しだいにサッカーにのめりこんでいく息子をご両親はこう振り返る。

「公園に遊びに行ったときに大学生のお兄さんたちがサッカーをしていたんですけれど、颯太が自分から「いれてぇ!」って声を掛けて混ぜてもらっていましたね。ボールがあれば、年上の人でも平気でした。むしろ相手の方に気を使わせてしまったかもしれませんね」(亜矢子さん)

「僕も颯太が低学年ぐらいまではボール蹴りに付き合いましたが、僕はサッカーをやっていたわけではないので徹底的にトレーニングをしたことはありません。だから子どもを負かせて向上心を植え付けようとしたことも、試合に負けて帰ってきたからといって怒ることもしません。むしろ親に言われてやるようでは、サッカーにのめりこむこともなかったでしょうね」(由太さん)

 由太さんの「僕たち親がというよりも、まわりの環境に育ててもらったのかな」との言葉に「そうだね、環境だね」と亜矢子さんも答えた。

「僕の友人の子どもに、颯太よりひとつ年上の、とてもサッカーが好きな子がいて、その子の影響もありました。フォルトゥナでも1学年や2学年ぐらい上の子たちと一緒にプレーさせてもらいました。年上の子たちの方が一枚上手だから、颯太も同級生とやるときのようにうまくはいかない。それに颯太が少しでも弱いところを見せたら、もう年下なんて相手にしてもらえなくなるわけです。だから颯太も弱いところを見せまいと立ち向かっていくようになったと思うんです」(由太さん)

 年上を相手に負けん気の強さをみせるようになった颯太くん。以前、ヴァンフォーレ甲府のアカデミーダイレクターを務める西川陽介氏に取材したとき、セレクションを受けに来た颯太くんの負けず嫌いぶりがひときわ目をひいたと話していたのを思い出した。

「在籍しているジュニアの選手とセレクション受験生で試合をやるのですが『絶対に負けない!』という気持ちが全面に出ていたのが颯太でした。スゴイ負けず嫌いでしたね。でも、颯太は負けたあとに、自分が経験した悔しい思いを鮮明に覚えているタイプだと思うんです。“悔しさを向上心に変えることのできる子”でしたね」

 颯太くんはサッカーだけでなく勉強も手を抜かなかった。山梨大学教育学部付属小学校・中学校の出身。国立の小中一貫校だ。学習成績が優秀な同級生と切磋琢磨できる刺激的な環境があった。

「小学校の先生に『颯太くんは友達の良いところを見つけるのが得意ですね』と言われたことがあります。『あの子はこれができるからスゴイんだよ!』と相手の良いところを認められるのだと言ってもらいました。だから勉強でも『あの子はこういうとこができてスゴイな、僕もがんばろう!』とつながっていったのかもしれないですね」(亜矢子さん)

西川コーチと川崎選手
ヴァンフォーレ甲府U-12時代指導を受けた西川陽介監督と川崎颯太選手
ヴァンフォーレ甲府アカデミーでの思い出~泥のついたエンブレム

 小学4年生に進級した颯太くんは、ヴァンフォーレ甲府のアカデミーに進むことになった。家族みんなでシーズンチケットを手に山梨中銀スタジアムに応援に出かけた幼い日の思い出。憧れのエンブレムがついたユニフォームだった。そのエンブレムにまつわるエピソードを、当時U-12の監督だった西川氏は先の取材のときに教えてくれた。

「5年生で奈良県に遠征したときのことです。選手たちは、自分たちがいま持っている力をすべて出し尽くしたわけでもなく“ただ試合をしただけ”でした。相手のやりたいようにやらせて負けました――対戦相手のチームはヴァンフォーレと試合ができるのを楽しみにしてくれていたのに、その相手に対して不甲斐ないゲームをしてしまったのです」

 そのグラウンドは泥だらけだった。試合後、西川監督は泥を手に取ると、自分のウェアについているヴァンフォーレ甲府のエンブレムに泥を塗りつけた。選手全員の胸のエンブレムにもベタッと塗った。

「これがどういうことかわかるか?」と教え子に問いかけた。

「相手チームがヴァンフォーレとの試合を大事にしてくれるというのはどういうことなのか。ヴァンフォーレ甲府にはトップチームがあって、たくさんのサポーターがいることをお前らは知っているだろう『俺たちはこのエンブレムをもっと大切にしないといけないんじゃないか?』という話をしたんです。みんな泣いていましたけれど、颯太が一番大泣きしていました。僕も選手と一緒に泣いて、ひとしきり泣いた後は、みんなで水道に行ってエンブレムを洗ったのを覚えています。たぶん、颯太も覚えているんじゃないかな……」

――2019年10月25日、京都サンガF.C.U-18が『2019Jユースカップ 第27回Jリーグユース選手権大会』で時之栖スポーツセンター裾野グラウンドに訪れた際、颯太くん本人にそのことを確かめることができた。ジュビロ磐田U-18との試合を終えて、準々決勝の進出を決めたばかりのベンチで取材を申し込むと、颯太くんはニコニコっと笑顔で歓迎してくれた。12歳のとき“全少”を戦ったグラウンドでの再会だった。

 ところが西川監督から聞いた話を途中まで伝えると、颯太くんは「――覚えています」と言って空を見上げた。「懐かしくて……」とつぶやくと、真っ赤な目で涙をこらえながら話しはじめた。

「西川さんにはいろいろ教わりました。エンブレムが汚れるというのはどういうことなのか、小学5年生にもわかるような形で示してくれました。ヴァンフォーレ甲府はトップからジュニアまでひとつなのだと――。ジュニアだからこれでいいではなくて、中銀(山梨中銀スタジアム)に来てくれる1万人を超えるサポーターがいつでも見ているという気持ちで戦えと教わりました。本当にそこから一つひとつのプレーを大事にしようと思いました。練習で消極的なプレーをしたら『帰れ!』って言われたこともあって、西川さんを鬼みたいに感じることもありました。でも、いま思い出すと愛情だったということがわかりますし、西川さんに教わったことが僕の原点でもあります。あの人がいなかったら、僕のサッカー人生は違うものになっていたかもしれません」

 エンブレムの話は颯太くんのご両親もご存知だった。亜矢子さんが「西川さんは愛情溢れる熱い人でしたね」と話すと、由太さんは「そうですね。子どもたちも理解していたと思うんですよ。颯太が(Jユースカップの取材で)思い出して感極まったのも、ただ厳しいだけの監督ではなくて、愛情を持って接してくれていたのが伝わっていたから心に響いていたのでしょうね。そうじゃなかったら、颯太もイヤなエピソードとして覚えているだけですよね」

 その後、6年生になった颯太くんたちヴァンフォーレ甲府U-12の奮闘ぶりは冒頭に書いた通りである。西川監督も、2016年にフランスで開催された『ダノンネーションズカップ 世界大会』でヴァンフォーレ甲府U-12を準優勝に導くと、昨年3月にも、スペインでの世界大会出場を賭けた『ダノンネーションズカップ2019 in JAPAN』で優勝を果たした。会場の駒沢オリンピック公園で取材を終えた私は帰り道に、ふと思いたって颯太くんに“後輩たちの優勝”をSNSで報告した。すぐに颯太くんはコメントを返してくれた。

「もう自分の代が強い世代だと自慢することもできなくなりそうです(苦笑)」と書いてあった。

高校年代最高峰のプレミアリーグへの挑戦~プロサッカー選手になるため京都へ

 ご両親に話を聞いているあいだ、リビング奥のダイニングテーブルでは、妹・楓佳(ふうか)さんが勉強をしていた。川崎家では、それぞれにある子ども部屋に勉強机は置かれていない。楓佳さんは、取材のときは受験前だったが見事志望校に合格を決めて、4月から県外の女子バスケットボール強豪校へ進学する。楓佳さんにとって、文武両道を貫いてプロサッカー選手への夢を叶えた兄は「憧れでもあり、目標でもあり、越えたい人」なのだ。

「楓佳はずっと颯太の姿を見て育ってきました。県外に進学を決めたのも颯太の影響があるんですよ」(亜矢子さん)

「颯太もそうだったのですが、子どもたちはリビングで勉強していました。(子どもたちが大きくなると)家族全員が揃う時間も少なくなってしまいますから、家に居るときぐらいは顔を合わせられるようにということなんです。だから、みんな忙しいなりにも、家族で会話をする時間はつくれたのかなという気はしますね」(由太さん)

 颯太くんはジュニアユースまでヴァンフォーレ甲府のアカデミーで過ごすと、高校進学にあたっては多くの選択肢を考えていた。川崎家のリビングでは家族会議が開かれた。より高みを目指し、希望は“勉強とサッカーを両立できる環境”だった。いくつかの候補の中から東京の国学院久我山や静岡の藤枝東がピックアップされたが、どちらも学生寮を完備していないことがネックとなった。また、颯太くんが思い描いていた “高校年代最高峰のプレミアリーグで戦うこと”も叶わない。ちょうどヴァンフォーレ甲府U-18がプリンスリーグ関東の残留を果たせなかったタイミングと颯太くんの高校進学の時期が重なったが、颯太くんがヴァンフォーレ甲府に進まなかったのは、県1部リーグへの降格が理由ではなかった。進路決定について颯太くん自身はこのように語ってくれた。

「もともとプリンスリーグではなくプレミアリーグに挑戦したいと考えていましたから、県リーグになったからというのは関係ないですね。家族とも話し合いをしていく中で、慣れ親しんだ居心地の良い環境に身を置くのではなく、より厳しい環境でも通用する自信があったので、外に出ようと決めたんです」

 進路を探しているうちに目に留まったのが、京都サンガF.C.の『スカラーアスリートプロジェクト』だった。京都サンガ独自の育成プロジェクトで、進学校の立命館宇治高校に通いながらサッカーをつづけることができる。京都サンガF.C.U-18はプレミアリーグに所属。選手寮も完備していた。

 颯太くん――川崎颯太選手は中学を卒業した春、親元を離れひとり京都に向かった。

「よく『寂しくないの?』って聞かれるんです。『毎日泣いているんじゃないの?』って(笑)。でも、私は不思議と寂しくありませんでした。それよりも颯太が素晴らしい環境でサッカーと勉強に打ち込むことができるのが嬉しかったんです」(亜矢子さん)

「僕は寂しさもあったけれど、やはり楽しみの方が大きかったですね。颯太は誰とでも仲良くなれる性格でしたので、すぐに溶け込むだろうなと思っていました。ただ1カ月ぐらいしたら関西弁になっていてビックリしましたけど(笑)」(由太さん)

 2017年4月8日、『高円宮杯U-18サッカーリーグ 2017 プレミアリーグ』が開幕した。この年、京都サンガF.C.U-18はWESTからEASTに移っての参戦となった。高体連の青森山田高校、市立船橋高校、Jリーグユースは、鹿島アントラーズ、浦和レッズ、大宮アルディージャ、柏レイソル、FC東京、横浜F・マリノス、清水エスパルスが顔を揃えた。川崎颯太選手にとって、待ち焦がれていた高校年代最高峰の舞台。4月30日の第4節・鹿島アントラーズユース戦では出場機会こそなかったがベンチ入りを果たした。その矢先にケガで苦しんだが復帰を果たして、8月26日の第10節・柏レイソルU-18戦でプレミアリーグ初スタメンを勝ち取った。2017年シーズンのプレミアリーグは2試合の出場。チームは6位でフィニッシュしたが、11月に『2017 Jユースカップ 第25回Jリーグユース選手権大会』で優勝を飾った。

 ケガで苦しんだ1年目のシーズンだったが、川崎颯太選手には手応えがあったに違いない。亜矢子さんはこんな出来事を語ってくれた。

「(立命館宇治高校では)高1から高2へ上がるときに文系と理系のコースを選択するのですが、颯太は数学が得意なので、私はてっきり理系コースを選ぶと思っていました。ところが颯太は私たちに相談せず文系を選んだんです。理系に進んでしまうと合宿の授業もあるし、勉強が忙しくなってサッカーの練習を休まなければならない、でも文系を選べばドイツ語の授業も選択できる。将来のためにもドイツ語を勉強したいというんです。私は心配だったのですが、そのとき颯太はきっぱり『僕はプロになるために京都を選んだんだよ』と言ったんです。そうか、この子は家を出たときに覚悟を決めていたんだな、もう自分のことは自分で決められるようになったんだなって……思いました」

 翌2018年、京都サンガF.C.U-18はEASTからWESTに復帰。川崎颯太選手は途中出場も含め10試合でピッチを踏むと、最終学年の2019年には主将に任命された。

「僕の1学年上に福岡慎平というお手本がいます。ゲームメイカーの選手で『颯太もゲームがつくれるようになれ!』とアドバイスをしてもらいました。中学のときは、自分でガムシャラにいって点を取るタイプでしたが、いまはそこも大切にしながら、まわりの状況に合わせてスローダウンすることも意識するようになりました」(川崎颯太選手)

 川崎颯太選手の1学年上は、DF江川慶城選手、MF上月壮一郎選手、FW服部航平選手、そしてMF福岡慎平選手の4名がトップチームに昇格している。京都サンガF.C.U-18の“黄金世代”。その後を継ぐ重圧は相当なものに違いない。「大丈夫なのか?」「プレミアリーグを落ちるんじゃないか?」との声も耳に入った。だがキャプテンとして推進力を発揮し、WESTの年間順位は2位でフィニッシュ、Jユースカップもベスト8まで勝ち残り、雑音を打ち消した。

京都サンガのトップチーム昇格とU-18日本代表に選出

 2019年にはU-18日本代表にも選ばれた。初招集は9月のスペイン遠征。11月にベトナムで行われた『AFC U-19選手権2020』予選は、チーム事情で不参加となった松岡大起選手(サガン鳥栖)に代わって追加招集された。ご両親にとっても懐かしい名前だ。

「颯太がジュニアの頃から、ソレッソ熊本の松岡大起、東京ヴェルディの山本理仁、川崎フロンターレの宮城天(20年シーズンはカターレ富山に期限付き移籍)などを見てきて、この子たちは同じ小学生なのに次元が2つぐらい違うな、こういう子たちがプロになるんだろうな、と思っていました」(由太さん)

「いまは、そういう子たちと一緒にサッカーができて颯太も幸せですよね」(亜矢子さん)

 二人は日々たくましなっていく我が子の応援に時間が許す限り出かけた。川崎家の愛車の走行距離は年間2万キロを超える。由太さんは「運転は大変ですよ」と笑う。先日もプロになってから初めての練習を見学しに京都へ行った。

「ファンゾーンで、颯太が小さな男の子にサインをしていたんです。その子の親から『うちの子も“そうた”なんですよ』って話しかけられて颯太も嬉しそうでした。小さい頃の颯太も憧れのサッカー選手にそうやってサインをもらっていましたね」(由太さん)

 我が子が幼い日々、由太さんと亜矢子さんも休日の昼下がりになれば、山梨中銀スタジアムのある小瀬スポーツ公園へ遊びに出かけたのだろう。そこでプロサッカー選手にサインをもらって嬉しそうにはしゃぐ息子に目を細める二人の姿が思い浮かべられた。

「いつのまにか颯太がサインをする側になっているのが、なんだか不思議な光景でしたね」(由太さん)

 気がつけば、川崎家におじゃましてから2時間近くが経とうとしていた。長くても1時間の予定でインタビューをお願いしていたのに、ついつい由太さんと亜矢子さんの話が心地よくて居座ってしまった。最後に“颯太くんのサッカーノート”の写真を撮らせてもらった。パラパラとめくってみると交換日記のようなページには、亜矢子さんの丁寧な文字がつづられていて、文末にはかならず「いつも そうたを おうえんしています」と母親の思いが込められていた。

「今日はこれから市内のブリーダーさんのところに子犬を見に行くんです。もうすぐ娘も家を出てしまいますから、犬でも飼おうかってことになったんです」と由太さんが教えてくれた。

 子育てをしている家族にとって、家の中が一番にぎやかなのは、子どもたちが小学生の頃かもしれない。送り迎えだったり、食事や洗濯だったり、なんでもいろいろ手がかかるし、心配事ばかりの毎日。ときには疲れて面倒だと思うこともあるけれど、ふとしたとき、とても愛おしく幸せに感じる瞬間がある。その時間はいつまでも、それこそ永遠につづくように思えるのだけれど――もちろん終わりはやってくる。

「子育ては早かったか? と言われれば、早かったかもしれないですね」との由太さんの言葉に亜矢子さんもうなずく。春になれば川崎家の第2章が幕を開ける。

 プロサッカー選手・川崎颯太は、京都サンガの背番号24番をつけて、どんなプレーを見せてくれるだろうか。完成したばかりの『サンガスタジアム by KYOCERA』で京都サンガのサポーターやファンの声援を背に受けて躍動する姿を見てみたい。故郷の甲府でも、ヴァンフォーレ甲府のサポーターやファンが温かく迎えてくれることだろう。

――そんなことを考えながら、帰りのクルマを甲府市内のインターチェンジから再び中央道に乗せた。これで川崎颯太選手の育成時代をめぐる取材の旅も終わりを迎える。ハイウェイは甲府の町から上り坂がつづく。スピードが落ちないようにアクセルを踏み込むと坂道をグングンと進み始めた。


 

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