結果よりも美学が重視されているような空気があった。元アーセナルアカデミー・ディレクターが語る“育成改革”

2020年09月07日

育成/環境

クラブ黄金期のフレンチコネクションやバルセロナからセスク・ファブレガスを引き抜き、世界的なスターに押し上げた過去からかアーセナルといえば多国籍な選手で構成されているイメージが強い。しかし、そのイメージはもう古いのかもしれない。次世代のガナーズを担うと呼び声の高い選手たちはいずれもアカデミー出身者だ。プレミアリーグにホーム・グロウン制度が採用されて10年。なぜ、ここにきてアカデミーが評価されているのか。元アカデミー・ディレクターであるアンドリース・ヨンカーの言葉に耳を傾けてみよう。

『フットボール批評 issue29』より一部転載

取材・文●アルトゥル・レナール 翻訳●山中忍 写真●佐藤博之


アーセナル1

より実戦に近い環境を作り出す

――就任に際して課せられたノルマを教えて下さい。

「ガジディスからは、3つの重要課題を与えられました。スカウト網の改善、コーチ陣のクオリティ向上、そして、トップチームに昇格できる若手の数を増やすことです。資金力の面では、マンチェスター・シティやチェルシーと張り合えるレベルにないアーセナルが、ピッチ上で互角以上に渡り合ってタイトルを争うには、スタメンにホーム・グロウン選手(国籍を問わず、21歳までに FA傘下の国内クラブに計3年以上在籍している選手)が5〜6名いるチーム作りを目指さなければならないとのことでした」

――就任当初、アカデミーにはどんな印象を持ちましたか?

「U‐9レベルから、ポジショニングの重要性を理解させることに主眼を置いた練習メニューが取り入れられている点はさすがだと思いましたね。ボールを持って攻める基本姿勢が、年齢グループを問わずに貫かれている点も同様です。アヤックスやバルセロナと同じように、アカデミー選手のプレーにもアーセナルのスタイルが見て取れるのです。

 逆に、気になった点も2つありました。1つは、U-18レベルに到達するまで、リーグ戦のように結果が問われる実戦を経験する場がないこと。勝ち負けに拘るあまり、チームのスタッフ、選手の保護者たち、そして選手たち自身が、教育上よろしくない言動に走ってしまう事態を避けるための配慮だと説明を受けたのですが、道徳教育の観点からはメリットが理解できても、選手育成においては実戦経験の少なさがデメリットだとしか思えない。就任1年目には、エインズリー・メイトランド=ナイルズがチャンピオンズリーグ戦でデビューを果たしたのですが、U-18チームとU-23チームでの試合程度しか真剣勝負のピッチを知らないまま、トップチームでヨーロッパの舞台に立つことになりました。

 もう1つは、アカデミーの設備そのもの。コーチ陣のクオリティ云々を言う前に、彼らの仕事環境を改善する必要性を感じました。ピッチの数も不十分でしたし、照明の問題で、夕方以降は半面しか使えないピッチもありましたから」

――具体的には、どのようにして改善に取り組んだのでしょうか?

「グラウンドに関しては、元々はクリケット・クラブの練習場だったとのことで、ピッチのレイアウト自体がサッカーの練習場としては不自然だったんです。敷地の広さを再確認することから始めましたよ。自分の歩数で測りながら(笑)。ピッチの向きを変えて、駐車スペースの一部を練習用スペースとして取り込むしかないという結論に至ったのですが、幸い建築家も合意してくれて。レイアウト変更後は、フルサイズのピッチが2面増えました。ヘイル・エンドは、U‐9からU‐16チームの練習施設ですが、U‐13以上の試合はフルサイズのピッチで行われますので、練習でも同サイズのピッチに慣れておくことが大切です」

――フロントは快諾してくれましたか?

「説得は必要でした。オーナーのスタン・クロエンケをはじめ、アメリカ人も多い経営陣に対するプレゼンは今でも忘れられません。『NBAのスター候補生を見つけたら、フルサイズとハーフサイズ、どちらのコートで練習させますか?』と、振ってみたんです。すると、『フルサイズに決まっている』という反応だったので、『では、どうしてアーセナルのアカデミー選手は、半分しか使えないようなピッチで練習しているのでしょう?』と言って、投資を認めてもらいました。

 ダグアウトも新調されて、控え選手全員が、チームスタッフの後列に並んで座れるようになりました。施設の建物にも手を入れて、新しいカフェテリアで選手が揃って食事できるようにもなりました。通路の壁には、アカデミー生から練習生に格上げされた先輩たちの写真を飾るようにもしました。練習生になると、通う施設も、U‐18とU-23チームのグラウンドが隣接されているトップチームのトレーニング・センターに変わります。憧れの卒業生として、リース・ネルソンたちの写真が飾られているわけです。 ロッカールームのベンチを、チームカラーの1つである赤に塗ってもらったり、スポンサーにお願いして、アカデミーの選手にも赤と白を基調とした帽子や手袋を支給してもらったりもしました。些細なことですけど、本人たちは、アーセナルにいるという意識が強まるものなんです。バルセロナやバイエルンでも、同じような配慮がなされていました。最終的なコストは800万ポンドほ ど(10億円強)になりましたが、トップチームの年俸と比べれば微々たるもの。その費用で、この先20年は戦力供給でクラブに貢献できる育成環境を整備できたと思っています」

アーセナル2

チームに勝利の大切さを 何度も話して聞かせた

――ソフト面は、どのように改善していったのでしょうか?

「単純にコーチの人数を増やすことから始めました。各チームに専属が2人ずつ。ただ、担当チームの選手としか接しないわけではなく、他チームの指導に手を貸したり、コーチ同士で意見を交わしたりすることを奨励しました。互いに刺激し合えるだけでなく、異なる年齢グループの選手についての理解を深めることもできるからです。多種多様な選手を指導することで、直感の他に、適性を見極める目も鍛えられるものですし、チーム毎ではなく、アカデミーのチームスタッフという一体感も生まれたと思います。コーチ陣とのミーティングでは、できる限りボールを使ったメニューを取り入れるように伝えました。早くからパスとポジショニングの重要性を認識させることが重要だという話も繰り返ししましたね。そのために、セッションを監視するだけではなく、その場で積極的にアドバイスを与え、タイミングを逃さずに選手を刺激する心構えも求めました。ボールを支配しながら点を取って勝ちにいくスタイルが、アーセナルのアイデンティティなのだという感覚、言ってみれば〝アーセナル魂〞を選手に植え付けるのです」

――ティエリ・アンリ、フレドリック・ユングベリ、ミケル・アルテタといったアーセナルの元スター選手たちによる指導も、ユースの若手には大きな刺激になったと思います。彼らがアカデミーに関わっていたのも、あなたが責任者を務めていた当時のことですよね?

「指導経験を積みたいということで、彼らの方から申し出があったんですよ。私としては大歓迎。既に引退していたアンリとユングベリには、コーチ陣の一員として、別々の年齢グループを担当してもらいました。アルテタは、まだ現役でしたが、彼の息子がアーセナルのアカデミーにいたんです。他にも、デイヴィッド・ベッカムと、ロベール・ピレスの子どもたちも所属していて、彼らもちょくちょく顔を出していましたね。今はトップチームで助監督のユングベリは、U-15チームの担当から始めてもらって、新監督としてクラブに戻っているアルテタには、当時、たまにU‐16チームの練習を手伝ってもらっていました。(2016年の) 引退後はフルタイムでスタッフに迎えたかったのですが、マンチェスター・シティでペップ・グアルディオラ監督のチームスタッフとして経験を積む機会を逃したくないという、本人の気持ちもわかりました」

――勝敗が問われる試合を経験する機会が少ない問題には、どう対処したのですか?

「意識の改革からということで、コーチ陣と選手たちに、勝利の大切さを何度も話して聞かせました。プレースタイルという美学が、勝利という結果よりも重視されているような空気を感じることがあったんです。もちろん、いいサッカーをするという意識は重要ですが、試合には勝つことも意識して臨まなくてはなりません。ですから、内容と結果の両立を目指すべきだという話をしました。ユースの試合は、前半と後半ではなく、4分割して行われることが多いのですが、最初のクオーターでスコアが5‐0だったとすると、集中力を欠くようになって、第2クオーターから3‐0、2‐0、1‐0という具合にパフォーマンスのレベルが低下してしまいかねない。そこで、第4クオーターが終わったところで、11‐0の最終スコアで試合に勝ったのか、あるいは負けたのかという捉え方をさせるようにもしました。試合の数は、海外遠征を増やして補いました。どの年代のチームも、年に3回は国外でのトーナメントに参加できるようにしたんです」


つづきは『フットボール批評 issue29』からご覧ください。


フットボール批評issue29

【商品名】フットボール批評 issue29
【発行】株式会社カンゼン
【発売日】2020/9/07

【書籍紹介】
なぜ、あえて今アーセナルなのか。

あるアーセナル狂の英国人が「今すぐにでも隣からモウリーニョを呼んで守備を整理しろ」と大真面目に叫ぶほど、クラブは低迷期を迎えているにもかかわらず、である。

そのヒントはそれこそ、今に凝縮されている。

感染症を抑えながら経済を回す。世界は今、そんな無理難題に挑んでいる。

同じくアーセナル、特にアルセーヌ・ヴェンゲル時代のアーセナルは、一部から「うぶすぎる」と揶揄されながら、内容と結果を執拗に追い求めてきた。

そういった意味ではヴェンゲルが作り上げたアーセナルと今の世界は大いにリンクする。

ヴェンゲルが落とし込んだ理想にしどろもどろする今のアーセナルは、大袈裟に言えば社会の鏡のような気がしてならない。

だからこそ今、皮肉でもなんでもなく、ヴェンゲルの亡霊に苛まれてみるのも悪くない。

そして、アーセナルの未来を託されたミケル・アルテタは、ヴェンゲルの亡霊より遥かに大きなアーセナル信仰に対峙しなければならない。

ジョゼップ・グアルディオラの薫陶を受けたアーセナルに所縁のあるバスク人は、それこそ世界的信仰を直視するのか、それとも無視するのか。

“新アーセナル様式”の今後を追う。


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