コラム

なぜ全日本少年サッカー大会は生まれたのか。大会の礎を築いた男の情熱と哲学

2016年12月06日

今年で40回目となった『全日本少年サッカー大会』。1967年に始まった本大会の前身となる全国少年サッカー・スポーツ少年団大会から45年以上、このジュニアサッカー最大のイベントの礎はいかにしてつくられてきたのか。日本サッカーの早期から選手育成に関わり、ジュニア世代への熱い視線を送り続けてきたパイオニア、大澤英雄氏(国士舘大学理事長)の言葉に耳を傾ける。

文●木村元彦 写真●佐藤博之

『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.5夏号』P138-147より転載


試行錯誤の連続だった全日本少年サッカー大会

 全日本少年サッカー大会が、日本サッカーにもたらした影響は計り知れない。前身となる全国サッカー・スポーツ少年団大会が始まったのが、1967年。45年以上の歴史となる全国大会は県外での試合を禁止されていた小学生たちの環境に風穴を開け、ジュニア世代に大きなモチベーションを与えた。『キャプテン翼』もプロリーグもない時代。小さな選手たちは東京に読売ランドという聖地があることを知り、情熱を燃やした。

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【全国大会出場チーム決定】第40回全日本少年サッカー大会 大会特設ページ【出場チーム紹介&決勝フォトレポート】


全日本少年サッカー大会がぼくらの情熱をかきたてた

 小笠原満男(鹿島アントラーズ)が盛岡太田東サッカー少年団の時に書いた作文。

「ぼくは、一度読売ランドでサッカーをやりたいと思っていました。それが、岩手県大会で優勝したので、その願いが通じた時はとてもうれしかった。(中略)決勝トーナメントには進めませんでした。準決勝や決勝を見て、蒲町や下都賀の10番の選手がとてもうまいので、ぼくは追いつき、追いこせるようがんばりたいと思います」
(『全日本少年サッカー大会 第10回大会記念誌 少年サッカー大会の歩み』(財)日本サッカー協会発行より

 ジュビロ磐田のカレン・ロバート(現ノースイースト・ユナイテッドFC/インド)はこう回顧する。

「それまで見ることがなかった全国のハイレベルな同級生たちがたくさんいることを知らされました。自分自身は今現在とは全く違うボランチというポジションで背番号2での出場ではありましたが、3得点あげられたことが一番の思い出です。優勝という結果はその後の自分に大きな自信をもたらしより高いレベルを目指すきっかけとなりました。

 試合に出場し得点もあげられた、そして全国優勝したということで日本代表選手になりたいという大きな目標ができました。世界を目指す夢も広がり、仲間と一緒に努力をすれば必ず得るものがあると子どもながらに思えました」

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