受け継がれるべき志を知る ジュニアサッカー パイオニアたちからのメッセージ

2013年02月05日

インタビュー

見て判断して感じて
どうしたらいいか工夫する

――そうですね。お話を伺うと、オシム監督の練習にすごく似てるなと思うんですね。サッカーに最も必要なのはアイデアだ。アイデアの無い人間もサッカーはできるけど、サッカー選手にはなれないと監督もよく言います。ビブスを7色に変えるというのもおっしゃるとおり、そういう設定をして色分けをしたことによって彼は何番目にしか触ってはいけないとか、彼はフィニッシャーだということを意識させて工夫させる。今、日本代表選手でもなかなかそんなにできないんですけど、それを昭和40年代から考えられていたその発想がすごく興味深いんですが、メニューは先生、どういう形で作られたんでしょう。ひとつは、本があったというお話ですが、それだけでそういう前衛的な練習方法というのができたのでしょうか。

「それはヒントはそのチャナディの本がもちろん大きなきっかけになりました。外人はこうやるから上手いんやと。つまり今言った、試合の一部のようなこと、例題のような練習問題のようなことね。それを入れることで、試合と基本の間が埋まるわけですよね。これを使えるようになると。試合でも3バックでやってみるとか4バックでやってみるとか試せる。だからうちの場合は、昔のフォーメーションでいうと、WMもやるし、MWもやる。状況に応じて、試合ではあんまり言わなくても選手が適当にやるわけですよ。よその人が枚方は何のシステムやという。3バックのようでも4バックのようでもあるし、ストッパーのようでもスイーパーのようでもあるしと。私はいや、いろんなことやってるから、選手らが適当にやるんですと言うんですけどね。ですから、個人。個人を育てたいわけです。結局はね。個人が相当なものになれば、チームも強くなる。そのためにはサッカー的な頭が必要です。見て判断して感じて、どうしたらいいか工夫する。ここは切り抜けなきゃいかん、ここは点とろうとかいうことをね。だから一人一人がサッカーの講師のようになってほしいわけです。サッカーってそんな理屈は難しくないです。問題はそれを教えることが難しい。お前こうしたらいいじゃないかと、教えることがね。日本の教育はできないと、怒ることしか今までなかったけれど、それを実際にワンツーをやる、センタリングをやるというふうに実習をやって、それが身について、いろんなことをやる、というふうになったわけです。まあ、それはほとんど僕が考えてやったことです」

小学生時代の佐々木博和。クラブ伝統の「旗ぬき」練習でドリブル技術を磨いた

小学生時代の佐々木博和。クラブ伝統の「旗ぬき」練習でドリブル技術を磨いた

――そうですか。しかし、病院の勤務をされながら、それは寝る時間もなかったんじゃないですか。

「そうですね。まあ、それは切り替えが必要でしたけども。練習も僕が週に3日か4日受け持って、毎回考えてやってましたからね。だいたい同じ練習を1週間続けますが、でも予定してきてみると、ああ、あの子がおらんと。あの子を目標にして見立てた練習ができないなということもあるわけで、それはそれでまた練習を変えなければいかんしね。教える自分にもアイデアを求められますね」

――指導の側にも創造力ということですね。さっき、お話をいただいた中でも、かなりいろいろな設定をされた多彩なメニューだと思うんですが、子どもたちにそれを理解させてやっていくうえでのご苦労というのがあったんじゃないかと思うんです。そのあたりはいかがでしょうか。

「うーん、僕はあんまり、教えないコーチとして名前が通ってるみたいで(笑)。例えば、3人パスにしてもいろんなパターンがありますよね。こうパスして後ろ通って、というふうなパターンをたくさんやらせます。それから、それを応用するために、相手一人、二人つけてできるだけこれ使えってやります。だけどその時、なんでこうせなあかんの、こうやったらこっちに走ったらいいやないか、という説明はあまり言わなかったですね」

――この練習の意図はこうだよということの説明もされないわけですか。

「それは自分で考えるわけです。それでね、僕が普通に言う時がない時がないこともないんですけど…。かつて佐々木(博和・元日本代表)とか吉村(雅文・元日本ユース代表)とかいう上手いのがおって、彼らは非常にアイデアもあるし上手いんですが、その、私が、もうちょっとこうしたらどうや、と言いたくて言った時があるんですね。そうすると、私のその一言が重しというかコントロールしてしまって普段のよさが出せなくなったんです。自分が自由奔放にやっていてもね。あー、これはこの人には言うたらいかんと、言うたらいかんというと語弊がありますけどね。
だから、その代わりに佐々木博和であればどんどんどんどん抜いて、こっち向いて、まだ持ってるという状態ですから、他のもんは仕事なくなりますから、あんたは2人抜いたら3人目はアウトとかそういうルールを作ってやるわけです。持ったらいかんって言って怒らないで、そういうルールで取り決めをしてね。そういうふうな状況設定で嫌でも工夫してやらなしょうがないように持っていくわけです。自分がやるから、教え込むのとは違うのです。だからそれはいわゆる創造性教育という、クリエイティブな教育になりますよね。体験、体感学習かな。日本は教えてやらせる、それも一番いいことを教えてやらせるのが教育やないかという昔からの伝統がありますし、それはそれでもっともなものですが、それをやっているうちに、言われるほうは、教えてもらうのを待つ、こうせいって言われるのを、指令されるのを待つようになっていくんですね。
今の日本代表でも、ふっとそういうところがありますよね。子どもの時からずっとそれでやってきたから。私はそれが気にかかってしまう。やっぱり、がーっと自由奔放にはできない、引っかかってますわな。あれ枚方的にやってたらもっと素晴らしい選手になってるのにと思ってしまいます。教えられ待ち、頼りにする、これでいいのかなという意識が絶えずあるからなんです。今回のワールドカップなんて、特にジーコが自由に考えてやれって言うたもんで、えっ!ていうことになって選手はおかしくなりましよね」

――つまりそれは枚方の場合は自由にできるというトレーニングをしているからですね。自由にさせるということは、すごく難しいことで自由に自分で解決できるということを普段からやっていかないとただの無策で終わってしまうんですね。

「それは特に、日本人ですから、どうしても失敗を恐れるというメンタルがある。俺がやったためにみなこうなったというね。子どもの時からやらないかんのですよ。子どもの時から、あんまり教えると頼りにしますから。まずはこれこれこれでやれよって言って。そこからは、放し飼い、放牧的なやり方です。間違っても自立を妨げるようなことをしてはいけない」

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