U-23日本代表守備の要・植田直通選手が空中戦で圧倒的な存在感を見せられる理由とは

2016年01月19日

サッカーエンタメ最前線

図抜けていた身体能力の高さ

 この県トレセンで中心的存在だったのが、その後、大津、鹿島、U-22代表でともに戦うことになる盟友・豊川雄太だ。彼は内気だった植田のエピソードを披露してくれた。

「当時の県トレは小学校から一緒に上がってきた選手が多かった。植田は田舎のほうから来ていたから、溶け込みにくかったのかな。俺は気を使って話しかけていましたけど。

 ある合宿の時なんか、植田が5人部屋の隅で体育座りしていたことがあった。『俺、座布団で寝る』とか言うから『布団に寝ろよ』と返したけど、いつも遠慮がちでした。でもピッチに出ると身体能力は高かった。それだけは間違いなかったです」

 思春期でよりナーバスになる部分はあったのだろうが、戦う以上は絶対に負けてはならない。それは幼い頃から家族に叩き込まれてきた鉄則だ。中学1年生の時、尊敬する祖父の死に直面したこともあり、負けじ魂や闘争心は一段と高まっていたはずだ。自分なりに努力を続けた結果、植田は中3になって県トレセンの「セレクト20(優秀選手20人)」入り。本気でサッカー選手になることを考え始める。そこで思い描いたのが、県内屈指の高校サッカー強豪校・大津への進学だった。

「県トレの仲間がみんな大津を受けると話しているし、自分も強いところに行きたいなと。中学校の先生は『辞めろ』とか『厳しいかもしれんぞ』とか言っていましたけど、親は『行って来い』と背中を押してくれました」

 そんな植田が初めて大津高校のグランドを訪れたのは、中3の冬。住吉中の外部コーチを通じて受験前の練習参加にこぎつけたのだ。平岡監督は「身体能力抜群の子がいる」と聞きつけて興味深く感じていたという。

 ところがその日、植田は髪に寝癖をつけた状態で練習場へ行ってしまった。

「もう帰っていいよ。そんな頭でグラウンドに来るなんてありえない」

 有名監督に厳しい一言を浴びせられた植田はショックを受けたに違いない。

「『宇土のほうは嵐だったのか』と言われたと帰ってきた直通が話していました。すごく面白い先生だねと笑ったのをよく覚えています」と母・俊子さんは言う。

 その翌週、再び大津を訪れ、練習に参加すると、平岡監督はフィジカル的な非凡さをすぐに察知。自分の手元に置いて育てたいと強く感じ、「推薦の前期試験は難しいかもしれないけど、ぜひチャレンジしてほしい」と本人に伝えた。

 こうした経緯があって、植田は受験に踏み切った。試験当日には豊川ら県トレセンの仲間の姿もあった。彼らに何も話していなかったため「何だ、植田も受けるのか」と冷やかされたという。それでも本人は自分のやるべきことに集中。50m走や反復横跳び、立ち幅跳びなどの運動能力テストを次々と消化。過去にないケタ外れの得点を叩き出し、学校新記録を作ったのである。

 見事に前期試験で合格した彼は、2010年春、強豪校の扉を叩くことになった。

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