「フットボールについては隅から隅まで知っているよ」。すべてが破格だった『ヨハン・クライフ』という生き方

2016年06月09日

サッカーエンタメ最前線

破格の人

「おそらく私は、アムステルダムでベビーカーを押した最初の男だろう」(クライフ)

 宝石商として財を築いたコー・コスターの娘でモデルのダニーと結婚。義父のアドバイスでクライフは「スター」になっていった。クライフを使った広告が溢れ、フットボーラーがプレー以外でも稼げることを示した。プーマ社と契約したためにオランダ代表の袖に入っていたアディダス社の3本線を1本外してしまったのはよく知られている。

 プロ化したばかりのオランダリーグでは、僚友ピート・カイザーとともに待遇改善の運動を展開、ボーナス交渉の先頭にも立った。アムステルダムで最初にベビーカーを押したのが本当かどうかは知らないが、誤解や偏見を恐れず誰もやっていないことを平然と実行していったのは確かだ。ユリアナ女王に謁見したときに、税制の見直しを直訴したというエピソードもクライフらしい。ただ、オランダ人は物事をはっきり口に出す傾向があり、万事に合理的。正しいと思えば相手が誰であろうと畏まらない。女王がデパートに買い物に行くという国柄でもある。よくいわれる「ケチ」も合理性の表れだ。

 クライフに「金にがめつい」という印象がついたのは、オランダ人への偏見もあったのではないか。ニックネームの1つである「フライング・ダッチマン」も、クライフに限らずオランダ人はだいたいこう呼ばれるのだ。日本人選手がすぐ「スシ××」と呼ばれるのと一緒だろう。

 バルセロナへの移籍は物議を醸した。最終的に移籍金レコードを大幅に塗り替える600万ギルダー(約5億7000万円)で決着するのだが、その過程でさんざん揉めている。

 当時のリーガ・エスパニョーラは外国人選手の輸入を禁止していたのだが、まもなく解禁されると知ったクライフと義父(兼マネジャー)のコスターはバルセロナへの移籍を目指し、アヤックスとの契約を1年で申し込んでいる。これが事の発端だった。アヤックスは防衛策として移籍金を約4億円に設定。これに対してクライフ側は契約期間を7年とするかわりに移籍金を引き下げることに成功した。スペインの選手輸入が解禁になるやバルセロナはクライフにオファー、するとアヤックスは突然8億円という法外な移籍金をふっかけた。怒ったクライフは試合ボイコットを宣言、法廷闘争も視野に入れた全面対決姿勢を鮮明にする。

 結局、アヤックスにとっては7年契約がアダになった。試合に出なくても給料が保証される条項が入っていたため、クライフは試合に出なくても平気なのだ。過去にも給料アップの要求を通すため、出場拒否をやったことがある。無理やり出場させても無気力プレーに終始。これでクラブ側に要求を呑ませた。このときは選手全体の総意による条件闘争だったわけだが、バルセロナ移籍の件はクライフ個人の問題なので、チームメートからも反感を買った。最後はアヤックスがバルセロナと同等の待遇まで約束したが、もう後戻りできない状況になっていた。

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