日本サッカーの良さを持つ韓国代表選手に――。横浜F・マリノスユース・柳知廈/ユースプレーヤー成長記

2017年07月21日

コラム

ストロングポイントは体の大きさよりも理解力の高さだった

 韓国人のジハは、父親の仕事の都合で小学5年生の冬に来日した。あざみ野F.C.の練習には、都内の自宅から1時間半かけて通った。日本語は分からなかった。どちらかというと大人しい性格だったというジハ。言葉が伝わらないこともあったので、マンツーマンで練習を受ける時間があった。指導にあたったのは、あざみ野F.C.の石井壯二郎コーチ。ガンバ大阪でプレー経験のある元Jリーガーだ。

 個別練習では、現役時代に左サイドバックだった石井コーチからのセンタリングをヘディングする練習もした。ジハは黙々と取り組んでいたという。

「彼の体の大きさはストロングポイントでもあったのですが、それを上手く使えていない部分があった。あまりにも基本に忠実というか、ありがちなプレーをしていました。でも、例えば普通の子だったら足が届かないところでも、ジハだったら届くので蹴ることができる。つまり、ボールを置く位置にしても、工夫ひとつで有利なプレーをすることができるわけです。あとは、足も速かったですね。あざみ野ではフォワードだったこともあって、相手よりも先に動いて体を入れてしまえば、もう相手はディフェンスができなくなってしまいます。伝えたかったのは、そういう体の使い方や駆け引きの部分です。教えたというか、実際に僕がやってみせたりもしました」(あざみ野F.C. 石井壯二郎コーチ)

 ジハが通っていた小学校はインターナショナルスクール。英会話が中心だったが、ジハはおぼつかない日本語で、積極的に石井コーチに質問をしてきたという。何とか言葉を伝えようとして、どうしても伝えきれないときには、日本語を話すことのできる母親に通訳を頼むこともあった。そして「ジハは人の話しを聞く姿勢を持っていました」と石井コーチは思い出深く語る。

「素直で理解力が高かった。理解しようとする力は、多分他の小学生よりも高いものがあったと思います。だから覚えるのも早かったですよね。日本語もヒアリングの力は、かなり早い時期から身についていたようでした」(あざみ野F.C. 石井壯二郎コーチ)

 やがて2011年5月になって、神奈川県でも全日本少年サッカー大会の予選がはじまった。

 あざみ野F.C.は第7ブロックを順調に勝ち上がり、中央大会へと駒を進めた。ジハのポジションはフォワード。チームのエースは本山鐘現(現 横浜F・マリノスユース)だった。本山はトップ以外に左右のサイドも器用にこなすことができた。

 6月26日、準決勝の横浜F・マリノスプライマリー追浜戦では、ジハが途中出場すると、本山は左サイドにポジションをとった。ジハが決勝ゴールを決める直前には、本山のフリーキックをジハがバックヘッドですらし、あわやゴールかというシーンがあった。先に吉見監督が言っていた『決められなかったフリーキック』とはこのこと。そのクリアされたボールはゴールラインを割り、あのコーナーキックからのヘディングシュートへとつながっていったのだ。

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