「学校の友達から嫉妬されたり、靴を隠されたりした」紆余曲折の連続だった石川直宏選手のサッカー人生

2017年08月05日

コラム

OSAKA, JAPAN - APRIL 07:  Naohiro Ishikawa of Japan in action during the Kirin Challenge Cup match between Japan and Serbia at Nagai Stadium on April 7, 2010 in Osaka, Japan.  (Photo by Junko Kimura/Getty Images)

石川直宏のサッカー人生は紆余曲折の連続

 順調にステップアップした石川は、97年にマリノスユースに昇格。横須賀高校に通いながら一段とサッカーに没頭した。追浜からユースに上がったのは、ごくわずか。実際、次男・貢は高校サッカーに進んでいる。

 ユース時代は大橋正博や鈴木達也など、さらにクオリティの高い選手たちとともにプレーした。合宿や遠征なども多かったが、常に前向きに取り 組み、長年の憧れだったJリーガーの地位を手にした。

 2000年に横浜F・マリノスでプロキャリアをスタートさせてからの 10数年間は、本当にいろんなことがあった。2001年ワールドユース(アルゼンチン)や2004年アテネ 五輪など世界の舞台を踏むチャンスを得て、日本代表にも選ばれる一方、FC東京への移籍、J2降格、さらには二度にわたる大ケガ、2010年南アフリカワールドカップ代表落選といった出来事も経験した。

 石川直宏のサッカー人生は紆余曲折の連続だ。

 何か起きるたびに、両親は長男のことを気にかけてきた。だが、彼は少年時代と同じように、いつも自分の中で解決策を見出そうとしてきた。

「2002年にFC東京へ移籍したときも、事後承諾だったくらいです」

二三夫さんは苦笑いしつつ、息子の自立心の高さを認める。

 そんな長男は25年以上もサッカーをひたむきに追いかけてきた。そして石川直宏のチャレンジはまだまだ終わらない。その姿に大いなる影響を受けた次男・貢、三男・扶もボールを蹴っている。次男はフットサル、三男はJ2とステージはそれぞれ異なるが、みんな揃って元 気にボールを追いつづけている。

 3人の息子たちが戦いつづける姿を目の当たりにし、父は頭が下がる思いだという。

「直宏も貢も扶も、みんな今もサッカーを続けている。ひとつのことを突き詰められるって すごいですよね。私は飽きっぽいんでそこまで長続きしない。これだけ継続してるってことだけでも、子どもたちは親を超えたと思いますね」

<関連リンク>
【前編】なぜ“石川直宏”は人を惹きつけるのか。今季での引退を決意した“ミスター東京”の少年時代


プロフィール

著者:
元川 悦子
(もとかわ えつこ)
1967年、長野県生まれ。業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーランスのサッカージャーナリストとして活躍中。現場での精緻な取材に定評があり、Jリーグからユース年代、日本代表、海外サッカーまで幅広く取材。著書に『U-22』(小学館)、『古沼貞雄・情熱』(学習研究社)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『いじらない育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(NHK出版)、『勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)、『高校サッカー監督術育てる・動かす・勝利する』『高校サッカー勝利学 ―“自立心”を高める選手育成法―』(小社刊)などがある。


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【商品名】僕らがサッカーボーイズだった頃
【発行】株式会社カンゼン
【著者】元川悦子
四六判/256ページ
2012年7月23日発売


 

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