「学校の友達から嫉妬されたり、靴を隠されたりした」紆余曲折の連続だった石川直宏選手のサッカー人生

2017年08月05日

コラム

親になって分かった母親の苦労

 石川家の親子は親離れ、子離れが早くからできていた。それぞれに自立はしていても、親が子を思う気持ちは永遠である。母・さなえさんは食事には人一倍、気を配ることで、精いっぱい応援をした。

 息子が学校から一時帰宅したときに食べられるように必ずおにぎりを握って食卓に置き、練習から帰宅したあとは自宅でしっかり食事をとれるように真心こめて夕飯を作ったのだ。

「直宏は全然体が大きくならなかったんで、カルシウムを多くとらせました。牛乳がダメでしたから、お父さんが釣ってきたアジを揚げて骨まで食べさせたり、小魚をおやつ代わりに与えたりとか、魚料理を多くしたんです。ユースの頃は必ず3人分、お弁当を作って持たせました。何もできないけれど、ご飯だけはしっかり食べさせたかったですからね」と母は語る。

 そんな気配りを、石川はありがたく感じている

「ホントによくやってくれたなと思います。追浜に行く前には必ず食べるものが用意されていましたし、練習から戻って 10時、11時になってもご飯を準備してくれましたからね。僕の背が小さかったことを気にかけて工夫もしてくれましたし、高校時代のお弁当も毎日ありました。昼にマクドナルドとかモスバーガーを買っている友達を見るとうらやましいなと思うこともあったけれど、母親は栄養を考えて手作りのお弁当を持たせてくれたんでしょうね。自分が親になって、そういう苦労がどれだけ大変かわかりますね」

 ジュニアユースに入った頃はまだまだ小柄だったが、高校に入学した頃から身長もグッと伸び、自分を評価してくれる指導者にも恵まれた。ひとつ年下の次男・貢もマリノス追浜に通うようになったことから、兄弟で切磋琢磨できたのも石川の刺激になった。

「真ん中の貢はおとなしいけれど、芯の強さは一番ありました。サッカーへの情熱も直宏や扶より上だったかもしれないですね。運動能力は直宏の方があったと思います」と両親が分析するように、長男と次男はお互いのいいところを認め合いながら、競い合って成長していくことができたのではないだろうか。

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