サッカーをやめようとさえ考えた。酒井宏樹の“運命を変えた”サイドバックへの転向

2018年06月27日

コラム
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TOYOTA, JAPAN - DECEMBER 08: Hiroki Sakai (L) of Kashiwa Reysol is challenged by Ian Hogg of Auckland City during the FIFA Club World Cup match between Kashiwa Reysol and Auckland City at Toyota Stadium on December 8, 2011 in Toyota, Japan. (Photo by Lintao Zhang/Getty Images)
「試合に出られるなら、どこでもやります」

 レイソルでなければ、これほど頭抜けた身体能力を誇る選手をサイドのスペシャリストとして使う余裕はなかっただろう。別のチームならセンターバックやFWで育てられた可能性も大いにあった。

 いずれにせよ、類稀な屈指のエリート軍団に身を投じたことが、彼の運命を大きく変えたのは、間違いない。

 酒井本人も「試合に出られるなら、どこでもやります」とふたつ返事で了承し、新たな役割に積極果敢に取り組んだ。が、まず守備で壁にぶち当たった。最終ラインの一角を占めるサイドバックは守りの比重が高い。中に絞るのが遅れると敵に飛び込まれてしまう。だからといって中にばかりいると、攻撃参加が全くできなくなる。どうしたら絶妙の位置取りができるのかを相当悩んだ。

 クロスを蹴り方やタイミングなどもサイドアタッカーとサイドバックではやはり異なる。酒井はクロスのツボを体得しようと日々、練習をコツコツと積み重ねていった。

「FW目がけてクロスを上げないことがポイントだと気づいたんです。GKと最終ラインの間に蹴れば、GKが取るか取らないかというボールが行くし、FWがうまく合わせてくれるか ら。コマさん(駒野友一=アビスパ福岡)みたいにうまい選手はFWに合わせていますが、僕みたいにうまくない人ほど、スペースを狙えばいい。そう思って練習してきましたね」
 
 もともと潜在能力を高く評価されていた酒井は、コンバートによって完全に自信をつけユースへ昇格。16〜 17歳の頃は左サイドバックでも起用された。これが苦手だった左足のスキルを磨く絶好の場になったのだから、極めて幸運だったといえる。

「左足で狙って蹴るとか細かいプレーは今もあんまりできないけれど、大きくクリアするとかクロスを上げることはできるようになった。サッカー選手をやっていこうと思うなら、右足だけじゃ難しい部分もある。左サイドバックの経験は、自分にとってホントにプラスになっています」

 左右のサイドバックをこなせる「幅のある選手」に成長した酒井は2008年春、石崎信弘監督に認められ、高校3年生になると同時に2種登録される。2年生までは県立柏中央高校に通いながらユースチームで練習していたが、高校をやめて通信制高校に再入学し、プロとしてサッカーを突き詰めるという大胆な決断を下したのだ。

 このときばかりは、さすがに息子の行く末を心配した両親が、吉田監督や倉持代表に「本当に学校をやめさせて大丈夫でしょうか?」と相談したようだ。しかし、本人に迷いなど一切なかった。チャレンジするならサッカー1本で集中的にやりたいという強い意欲を両親に伝え、理解を得た。

「進路はすべて自分で決断し、それを受け入れてもらいました。そういう親や周囲の協力には本当に感謝しています」と本人は静かに語った。

トップ昇格後はまたしても「新たな環境適応の難しさ」という弱点を露呈することになった。2008年も2009年も公式戦出場機会はゼロ。吉田監督も「サッカー選手に必要な能力はもっていたけれど、どう自信をもって個性を押し出すかというのが酒井の課題でした。『自分は何番手だろう』とかそういう計算をしてしまってナーバスになったり、地に足がつかないところもありましたね」と指摘する。

 気弱な自分を変えなければいけないと酒井自身も気づいていた。そのきっかけをつかむため、2009年6月に武富とともに1年間のブラジル留学に赴く。「僕にとっては逃亡でした」と本人は苦笑いするが、そこでサッカーの原点に立ち返ることができた。球際の激しさや接触プレーの強さを身につけ、メンタル的にもひと皮もふた皮も剥けたという。

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