コラム

『フットボールサミット第10回』重版が決定! 内田篤人選手の高校進学における覚悟

2013年01月11日

現在好評発売中の『フットボールサミット第10回』(カンゼン刊)では、「内田篤人が愛される理由。」を議題にさまざまな視点から論じられている。今回、重版決定記念としてサッカーエンタメ最前線では、内田選手の高校時代の進学秘話や当時の印象が語られている記事を一部紹介する。

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『フットボールサミット第10回』P112-119より抜粋(文●安藤隆人)

足の速さだけが目立っていた

「内田篤人」は幸運の連続で生まれたと言っても過言ではない。高校時代はその連鎖であった。小学時代、中学時代を地元の函南で育った内田は、高校進学時に一大決心をする。

清水東高校に入る――。

写真●Kenzaburo Matsuoka

内田が住んでいる函南は、静岡県の東部に位置する。それに対し、清水東は中部に位置する。静岡県の中で、西部、中部、東部という地域分けは、サッカー少年たちに大きな影響を及ぼしていた。西部は浜松を中心とした地域で、藤枝東や浜名、常葉学園橘などがある。中部は清水商、静岡学園、東海大翔洋、清水東と名門がひしめく激戦区。そして東部は飛龍、加藤学園暁秀があるが、静岡でサッカーをするならば西部と中部という図式が色濃く出ていた。

さらに、東部の人間が西部や中部に行くのには大きな障害がある。基本的に入試制度の問題で、別の地区に進学することが簡単ではない。東部から中部の強豪校に行く例は、小野伸二(清水商)、高原直泰(清水東)と言った名のある選手ばかり。内田は、当時は全くの無名の存在だった。その彼がなぜ中部の清水東に入れたのか。それはまさに偶然の出来事だったと言える。
「たまたま彼が中3の時に、入試制度が変わって、全県どこへでも行けますよという状態になったんです。それまでは基本的に中部ならその学区内の学校に行きましょうという状態でした。それで彼もウチを選択肢に入れることができたのでしょうね」

こう語るのは、当時、清水東高校サッカー部監督を務めた梅田和男氏。現在は静岡東高校で教鞭をとる彼は、懐かしそうに語ってくれた。
「東部の子で割と力のある子供たちはいます。小野や高原もそう。そういう選手が中部でサッカーをやりに来るには、それなりの覚悟と自信があるわけです。篤人も相当な覚悟があったと思います」

VOL44

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