「サッカーで一番になれ」。父の言葉を胸に成長を続ける杉本健勇が歩んだ少年時代

2018年03月05日

コラム
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昨シーズン、セレッソ大阪の2冠達成に大きく貢献し、J1リーグ戦では22ゴールをマーク、日本代表にも初選出されるなど飛躍の年を送った杉本健勇選手(FCルイ・ラモス・ヴェジット出身)。3月6日発売の『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.48』では、そんな彼にインタビューを敢行。いまや日本屈指の大型ストライカーはどんな少年時代を歩んだのか。先んじてその一端を紹介する。

文●元川悦子 写真●松岡健三郎

『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.48』より一部転載


2017年、長年の夢だった日本代表入りを果たす

「(2018年)ロシアワールドカップまで1年を切った。そろそろ代表に選ばれなアカン」

 J1でゴールを量産し、得点王争いをけん引していた2017年夏、杉本健勇(C大阪)は長年の夢だった日本代表入りを真剣に思い描くようになっていた。

 大阪・生野区の小学校に通っていた2002年6月、日本代表が自国開催のワールドカップでロシア、チュニジアを撃破する快進撃を目の当たりにして「自分も同じ舞台に立ちたい」と熱望してから15年。

 ロシア切符のかかる最終予選の大一番・オーストラリア戦(8月31日=埼玉)を前に、とうとうメンバーリストに名を連ねることに成功したのだ。

 けれども決戦の日、杉本の姿はベンチになかった。ベンチ外の一員としてスタンドで仲間の雄姿を見守ることになったのだ。

「ホントに悔しかったし、恥ずかしい。あの試合は俺もメッチャしびれてましたし、期待もされていたのに、ベンチにもいない状況やった。あんな屈辱はないですよ。だから俺、もっと頑張らなアカンと思ったし、絶対結果残したるって気持ちになりました」

 杉本健勇の負けん気の強さは子どもの頃から変わっていない。小3で入った地元の町クラブ「FCルイ・ラモス・ヴェジット」の恩師・金尚益監督の猛烈指導に食らいついていったことも大きかったが、父・高裕さんの「サッカーで一番になれ。一番になれたら勉強せんでいい」という叱咤激励も向上心を掻き立てた。

「『とにかく一番になれ』って考え方は俺も好き。自分も子どもができたら絶対そう言いますね」と本人も言うほど、彼は父へのリスペクトを胸に秘め、成長してきた。

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