なぜ、体罰…… やら・り~の言っておきたいことがある!

2013年01月25日

コラム

日本のスポーツ育成のあり方をもう一度真剣に考え直す必要がある

あけましておめでとうございます!
今年もサッカーについて熱く語っていきますので、よろしくお付き合いください。

さて、2013年最初の”言っておきたい”は、体罰についてです。

ニュースでも大きく取り上げられていますが、大阪の高校で、バスケット部のキャプテンだった男子生徒が自殺するという悲しい出来事が起きてしまいました。

その原因が体罰によるものだったことから、スポーツ界で体罰に対して色々な議論がなされ始めました。

日本はスポーツが盛んですし、そのスポーツを通して多くの素晴らしい体験ができる社会です。この点に関しては、私が見てきた国の中ではトップクラスです。特に育成年代の子どもたちにとっては最高の環境が整いつつあります。

その一方で、私が日本サッカー協会のアジア貢献事業でお手伝いさせていただいたシリアでは、残念ながら内戦が悪化し、どうなるかわからない状態です。もはやスポーツどころではなく本当に心配です。

子どもたちが思う存分スポーツを楽しめる。これは本当に微笑ましいことなのです。
そういった意味では、日本はとても恵まれた環境であるだけに、今回の出来事が残念でなりません。

例えば、よく試合で見かける光景なのですが、試合に負けたという理由で黙々と子どもを走らせたり、試合中にミスしたという理由でタッチライン際に子どもを呼んで手を上げたりとか、そういう光景を見るたびに本当に残念に思います。

せっかくタッチライン際まで呼んだのなら、技術的、戦術的に即効性のある方法を伝えるべきですし、それがコーチの仕事のはずなのに……。

スポーツでは、負けたり失敗したりしたときこそ、選手に多くを伝えるチャンスです。指導者が子どもたちに、「そこでどうすればいいのか」を伝えて、トレーニングで改善させることが本来の指導だと思います。その過程の中で体罰が入り込む余地などないはずです。

逆に言えば、技術的、戦術的なことを子どもに口で伝えることができないから、ついつい感情的になってしまうのではないかと思います。

そもそも指導者がそのスポーツを熟知していれば、選手たちが失敗しても腹は立たないはずです。

それからもうひとつ。

スポーツには、技術、戦術、メンタルは必要だけど、根性は必要ありません。

日本は、なぜか『スポーツ=体育』と捉えているから、教育的にやらなければってなるんだと思います。

『スポーツ=遊び』と考えれば、「遊びなんだから楽しませてあげればいいじゃない」となるし、そういう環境なら体罰の発想自体がないはず。

『スポーツ=体育』と考えるから、勝利至上主義になってしまう。これはまったくの悪循環。そのようなことは選手たちも望んでいないし、それが原因でそのスポーツをやめてしまう子たちも多い。これはスポーツ界にとっても大きな損失です。

今回のような問題は大きくなってからでは遅いけれども、日本のスポーツ育成のあり方を、みんなでもう一度真剣に考え直す必要があるのではないかと思います。

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