岩渕真奈選手の恩師が語る、日本を救った“ヒロイン”のジュニア時代

2015年06月29日

サッカーエンタメ最前線

FIFA女子ワールドカップ準々決勝、優勢に試合を進めながらもあと少しのところでゴールを奪えなかったなでしこジャパン。このまま延長に突入するかという場面で、日本を救う値千金のゴールを決めたのは、チーム最年少の岩渕真奈選手だった。そんな彼女のジュニア時代を、出身クラブである関前サッカークラブの監督を務める小島洋邦さんの言葉とともに振り返る。

(再構成●編集部 文●鈴木康浩 写真●Getty Images)

ジュニアサッカーを応援しよう! VOL.26』より一部転載


EDMONTON, AB - JUNE 27:  Mana Iwabuchi #16 of Japan celebrates with teammates after scoring a goal during the FIFA Women's World Cup Canada 2015 quarter final match between Japan and Australia at Commonwealth Stadium on June 27, 2015 in Edmonton, Alberta, Canada.  (Photo by Maddie Meyer - FIFA/FIFA via Getty Images)

クラブの女の子“第1号”が日本代表に

 ボールを蹴りはじめたのは幼稚園の年長の頃。お兄ちゃんが関前SCでサッカーをやっていたので一緒に練習場にくっついて来ていましたが、そのときから他の子どもとは違いました。練習場に来るだけで満足せず、自分から積極的に大人を捕まえては一緒にサッカーで遊んでいたのです。

 私はこのチームで20年以上指導をしていますが、彼女ほど遊びのサッカーを夢中になって勝てるまでやりたい、という強い意志を感じさせた子どもはいません。常にボールを持ち歩いていて、サッカーが本当に大好きな女の子でした。

 当時の関前SCの正式名称は「関前サッカー少年団」。私が女の子を指導した経験がなかったため、女の子は一切引き受けていませんでした。それでも、真奈が遊びのサッカーでボールを蹴ったりドリブルしたりしている姿を見ていたら、この子を育ててみたい、と思うようになったのです。ご両親は彼女に当時ピアノやバレエも習わせていて、女の子らしく育てたいと思っていたようです。

 私は、彼女が年長のときから1年間ほどずっと「一緒にサッカーをやろうね」と熱心に声をかけていました。やがて小学生にあがると、「私もお兄ちゃんと一緒にサッカーがやりたい!」と言い出したので、ご両親も納得してくれました。

 そこでクラブの規約を変えて、名称も「関前サッカークラブ」に変更し、真奈を女の子の第一号として受け入れたのです。今となってはご両親に「あのときの小島監督の熱心な勧誘がなかったら今の真奈はありませんね」と感謝されることがあります(笑)。

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