「指導者を誰もがあこがれる職業に」 中国でサッカースクールを経営する日本人の夢

2016年02月05日

コラム

急成長を遂げたサッカースクール

 中国のサッカー指導書には、まず足球の起源は中国にあると書いてある。すぐその後からはルール解説、戦術論やトレーニング理論の紹介が始まってしまう。なぜ世界中で古くから行われていたボールを蹴るという遊びが、19世紀のイギリスで近代スポーツとして生まれ、それが世界中に広まったかという点についてはまったく触れられていない。日本で「スポーツが文化である」と言ってもあまり違和感がもたれなくなったのは、Jリーグ開始以降であろうか。日本がスポーツを教育に取り入れてから、約百二十年の歳月が必要だった。中国ではいまようやく「文化」として語る人々が現れつつある。

 このような環境で、中国人向けサッカースクールを5年前に立ち上げ、今では上海23ヶ所でサッカーとバスケットのスクールを展開し、1000人を越えるスクール生を持つ、中国最大のスポーツスクールのひとつに成長させたのが千葉将智である。千葉が経営する世堡(Sporva)は、2015年に初の専用フットサルコートも確保した。ピッチの確保は業務展開の重要な資産だが、どのスクールも学校や所有者からスクールの時間だけ借りていた。そのため、ライバルスクールが裏で動いて突然契約を解除されるなど、経営の不安定要因であった。今後は専用のピッチを増やしていくことで安定的にビジネスを拡大しようとしている。2015年末時点でスタッフは19名、内15名は中国籍で、日本・韓国・中国人で構成されるグローバルな運営体制を創立以来維持している。

 千葉が中国との縁を深めたのは、1994年に父親が上海現地法人の責任者として家族とともに上海に赴任したことにある。千葉は都中学選抜に選ばれたこともあり、日本人学校のサッカーレベルに飽き足らずにいたところ、父親が中国のスポーツエリートが通う体育専門学校の練習に参加できるようにしてくれた。そこでのプレーが認められ、上海代表(中国人登録で!)として全国大会に出場し、優勝した経験を持つ。帰国後、サッカー強豪校に入り、高校選手権を目指したが出場はならず、大学サッカー部に所属しながらJのセレクションを受けたがこれも合格に至らなかった。そして、大学4年の時に再度上海へ渡り、当時上海で中国トップリーグ入りを狙っていた3部のチームとプロ契約をした。プロ契約とは言え、外国人枠の関係から実質的には練習に参加するだけで、公式戦には出られず無給であった。監督はイタリアセリエA・ウディネーゼの元監督であり、その指導法に強い興味を持ち、2部に上がれば試合に出られると信じて加入を決めたという。

 この間に、千葉は当時上海唯一の日本人サッカーチームであったShanghai Japan Football Club(SJF)にも加わり、社会人に混じって上海在住の外国人チームによるShanghai International Football League(SIFL)にも参加、空いている時間には駐在員の子どもたちとサッカーをして遊んでいた。そのうちに、子どもにサッカーを教えてほしいと頼まれ、スクールをアルバイト感覚で始めることとなった。この時に、一緒にスクールを始めたのがもう1人の野口大輔である。

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