「フットボールについては隅から隅まで知っているよ」。すべてが破格だった『ヨハン・クライフ』という生き方

2016年06月09日

サッカーエンタメ最前線

選手としても指導者としても圧倒的なアイコンであり続けた創造者は、サッカー界に何を遺したのか?『フットボール批評issue11』から一部抜粋して紹介する。

(文●西部謙司 写真●Getty Images)

『フットボール批評issue11』より一部転載


Football, 1974 World Cup Finals, Hannover, Germany,15th June 1974, Holland 2 v Uruguay 0, Holland's Johan Cruyff on the attack  (Photo by Bob Thomas/Getty Images)

「フットボールについては隅から隅まで知っているよ」

 ヨハン・クライフは1947年4月25日、アムステルダムのベトンドルプという街で生まれた。青果商を営む家とアヤックスのホーム、デ・メールまでは100メートルほどの距離だった。

 12歳のときに父親が他界、母親はアヤックスの掃除婦や食堂係として働くようになった。ヨハン少年は学校が終わるとスタジアムに直行、母親におやつをもらうとスタジアムのどこかへ消えるという毎日だったという。「フットボールについては隅から隅まで知っているよ」

 後年、そう語っていたのは誇張ではないのだ。仲良しの用具係“ヘンクおじさん”からはクラブの歴史や用具の手入れ、芝生の特徴など、さまざまなことを学んだ。トップチームの選手たちからも可愛がられ、ロッカーに出入りしては監督への不満や勝利ボーナスの話を聞いていた。フットボールを呼吸しながら、スタジアムで育った。ちなみに“ヘンクおじさん”は、後に母親の再婚相手となりクライフの継父となっている。

 15歳でユースチームに昇格、オランダユース全国大会で優勝。トップのレギュラーに定着したのは19歳。その間、英国人コーチ(キース・スパージョンとビク・バッキンガム)の指導を受けたことで英語が上達したそうだ。オランダ人なら誰でも英語が喋れるのかと思っていたが、当時はそうでもなかったらしい。まもなくクライフはリヌス・ミケルス監督に出会い、トータルフットボールを作り上げる。

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