「サッカーは私の情熱」。20年間トップレベルで活躍し続けた元アルゼンチン代表ハビエル・サネッティ氏が語る“成功の秘訣”

2017年02月14日

インタビュー

国を背負って戦うことは大きな夢だった

FRANCE - MAY 06:  FUSSBALL: UEFA CUP 97/98 FINALE in PARIS, 06.05.1998 INTER MAILAND MANNSCHAFTSFOTO, hintere Reihe v.lks.: ZE ELIAS, Francesco COLONNESE, Javier ZANETTI, TORWART Gianluca PAGLIUCA, Taribo WEST, vordere Reihe v.lks.: Diego SIMEONE, Youri DJORKAEFF, Ivan ZAMORANO, Aron WINTER, Salvatore FRESI, RONALDO  (Photo by Gerd Scheewel/Bongarts/Getty Images)
【97-98シーズン UEFAカップを制したインテルのメンバー。サネッティ氏は上段3番目】

――アルゼンチンでプロになったとき、それまで以上の厳しさを感じることはありましたか?

 自分の夢が叶ったということの方が大きかったので、そういったことはなかったですね。私はアルゼンチン代表としても150試合近くプレーしましたが、やはり子どもにとって国のユニフォームを背負うことが大きな夢であると思いますし、幸運にも私はそれを実現することができました。

――アルゼンチンという国を背負って戦った中で、最も誇りに思えた瞬間はいつですか?

 最初の試合から最後の試合まで、すべての試合で国の代表として戦えたことは誇りでした。国を背負って世界中で戦えたことは非常に良かったと思っています。

――イタリア移籍の話はアルゼンチン代表での活動中に聞いたそうですね。改めてインテル移籍の経緯を改めて教えてください。

 アルゼンチン代表の試合にインテルのスカウトが数名来ていました。その方々が試合を見てすぐモラッティ会長(当時)に電話を入れて、「こういった選手がいるからぜひインテルで獲得しましょう」という話をしてくれました。会長もすぐに私のプレーを認めてくださって、そこからインテルへの道が開けました。

――初めてインテルの練習に参加した時のことを覚えていますか?

 もちろん覚えています。違う国に行って、インテルというビッグクラブでプレーすることができるようになって、本当に一瞬一瞬、チームメイトのこともはっきり覚えていますし、1回目の練習には思い出がたくさんあります。

――当時のオッタビオ・ビアンキ監督はサネッティさんを最初はレンタルに出そうとしていたと聞いています。そこからどうやって監督に自分の実力を認めさせたのでしょうか。

 当時の外国人枠は3人までで、私は4人目だったのですが、毎日の練習を通してチームのために戦おうと考え、信頼を自分で勝ち取ったと思っています。練習の中で、監督が私をチームに必要な選手であると認めてくれました。そして最終的に監督がシーズンを始めるにあたってメンバーを発表した時に、私の名前が幸運にもそこに載っていたということです。

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