「ごく普通の選手だった」日本代表のエース大迫勇也が”怪物ストライカー”になるまで

2018年06月19日

コラム
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勇也は「生活態度に問題がありました」
 
 1年から大会に出られる環境も、つねに刺激を求める大迫にはプラスに働いた。1年の時は全国中学校大会や高円宮杯の県大会1回戦負けを余儀なくされ、2年の時も県内のライバル・神村学園に5、6点の大差をつけられて苦杯を喫していた。それでも敗戦の中、一矢報いるゴールを取っていたのは、必ずと言っていいほど大迫だった。その勝負強さは山平監督も高く評価していた点だ。
 
 その反面、サッカーに力を入れすぎるあまり生活態度がいい加減になることも皆無ではなかった。忘れ物を繰り返したり、授業中に先生の話を聞いていなかったりすると、サッカー部の練習参加見送りという厳罰が下ることもあったようだ。

「3年生のゴールデンウイークに鹿児島県中学校サッカー選手権大会という100チーム以上が参加する大きなトーナメント戦があったんですが、勇也を1~3回戦に出さなかったんです。生活態度に少し問題がありましたからね。その様子を現場で見ていた勇也のおじいちゃんが『先生に言おうか』と声をかけたそうですが、本人はじっと我慢していたと後から聞きました。勇也の家族はおじいさん、おばあさんが皆勤賞と言っていいほど熱心に試合を見に来ていましたし、ご両親も仕事の都合をつけてできる限り足を運んでいたから、家族の前で恥ずかしいところは見せられないという思いも強かったんでしょう。結局、勇也が4回戦以降に大活躍し、チームを準優勝へと導きましたね」(山平監督)。

 逆境に追い込まれるほど、負けじ魂と向上心を募らせるのは生粋の性格なのだろう。その長所を山平監督にうまく伸ばしてもらった大迫は3年になると絶対的エースに君臨。育英館中は全中県予選で強豪・桜島中を3-2で撃破して優勝し、九州大会まで勝ち上がった。こうした働きが認められ、この冬には城福浩監督(サンフレッチェ広島監督)率いるU-15日本代表候補に初招集。教え子1期生から日の丸を背負う選手が出たことを山平監督 も嬉しく感じたという。その頃には大迫自身もプロを強く意識するようになり、提携校の鹿児島城西高校に進学。さらなる高みを目指した。

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