「ガラスの天才」比嘉厚平。指導者になった今、何をおもうのか

2018年10月12日

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KASHIWA, JAPAN - MARCH 17:  Kashiwa Reysol v Shandong Luneng FC  during the AFC Champions League Group E match between Kashiwa Reysol v Shandong Luneng FC at Hitachi Kashiwa Soccer Stadium on March 17, 2015 in Kashiwa, Japan. (Photo by Koji Watanabe/Getty Images)

左膝靭帯損傷。キャリアの大きな分岐点に
 
 加入した柏レイソルのアカデミーの環境は、プロへの道程が目に見えるものだった。

「自分たちが練習しているすぐ隣でトップチームが練習をしているし、練習場の隣にはスタジアムもある。週末になればチケットをもらってみんなでトップの試合を観に行くんです。ロッカーにはユースやジュニアユースの先輩たちがいて、シャワーを使う場所も一緒。身近な先輩たちが年を重ねるごとにプロになっていく姿がはっきりと目に見えるんです。当時の僕はトップチームの華やかな外国人選手よりも、ユースからトップチームに昇格した菅沼実選手に憧れていました。プロが身近に感じられるのがレイソルの良さだと思います」

 比嘉は濃密な環境のなかでサイドで 俊足を生かしたアタッカーとして順調に成長していく。恩師、吉田達磨氏との出会いもこの頃だった。

「全てのプレーには意味がある。惰性でプレーするな。プロを目指すならばボーっとしている時間はないぞ。地球の裏側のやつらは24時間サッカーのことを考えているぞ――。今何が必要なのか、それを常に言われていたし、やらなきゃいけないという気持ちにさせてくれる人でした」

 プロへの明確な道筋を提示されるなか、比嘉は高校2年生が終わるときにクラブからトップチーム昇格の内定を受けた。そして高校3年生の夏に正式にプロ入りが決定した。

「親は『大学にも行きなさい』という厳しい家庭だったので、プロ入りの話は喜んでくれる一方、『ちゃんと考えなさい』とも言われました。でも、サッカー選手になるためにやってきて念願のプロ入りを提示され、やっぱりプロにはなりません、という選択肢は僕にはなかった」

 柏レイソルの選手として柏のスタジアムでプレーする光景に思いを馳せ、比嘉は契約書にサインした。夢への階段を踏み出す、大きな一歩だった。
 
 それと機を一つにした高校3年生の1月、カタールで開催された19歳以下の国際大会に出場したときだった。その中国戦は延長戦に突入。試合中の中国の選手のラフなタックルで、右足の半月板を痛めているのはわかっていた。が、交代枠を使い切っていたため、比嘉は試合終了まで右足を引きずりながらもあと数分だけ頑張ろうとした。そのとき――。
 
 ぬかるんだピッチに足をとられ、負傷した右足をかばうように使っていた逆の左膝に激痛が走った。比嘉が、痛みに顔をゆがめ、その場にうずくまる。数日後に判明したのは、左膝靭帯損傷。全治7ヵ月。このケガが比嘉のキャリアの大きな分岐点となった。

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