お気づきだろうか?「自分で考えろ!」という言葉が持つ”自己矛盾”に【サッカー外から学ぶ】

2019年04月25日

育成/環境

「自分で考えろ」。ここ数十年サッカーの現場だけでなく、ビジネスシーンでも頻繁に聞く言葉だ。自分で「考える」ことはたしかに大切だ。大切なのだが、たとえばその言葉を、子どもや部下に伝えた場合、大きな矛盾が生まれることにお気づきだろうか。今回は細谷功さんの著書、『具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ』、『「無理」の構造 ―この世の理不尽さを可視化する』の視点を借りつつ、最新刊である『自己矛盾劇場 ―「知ってる・見えてる・正しいつもり」を考察する』のキーワードとなる「自己矛盾」も交えながら、サッカー指導の現場で起きている問題を自問してみようと思う。
 
【連載】「サッカーを“サッカー外”から学ぶ重要性」

文●大塚一樹 写真●Getty Images、ジュニサカ編集部


 
①

大いなる矛盾を孕んだ「自分で考えろ!」
 
 望めばさまざまな情報が取れるようになったいま、サッカーの指導では「自主性」「自己肯定感」「考えることの大切さ」がずいぶん知られるようになってきた。
 
「自分で考えろ!」と怒鳴るコーチ。
 
 現場で子どもたちと向き合っているコーチたちには、この言葉のおかしさがわかっていただけると思うが、理論や理想だけでは、なかなか現場は変わらない。
  
 これはまさにこの連載で考えてきた、物事の本質を掴むためには「具体」だけでも「抽象」だけでも足りず、具体と抽象を行ったり来たりする中で世の中の見え方が変わっていくということを象徴している。
 
「『自分の頭で考えろ』という発言や指導って、実はものすごい自己矛盾を起こしているんですね」
 
 この題材は、サッカー指導のために細谷さんにぶつけた質問ではなく、細谷さんの著書、『自己矛盾劇場 ―「知ってる・見えてる・正しいつもり」を考察する』のなかでも1パートを割いて触れられている命題だ。
  
 ビジネスコンサルタントでもある細谷さんにとっては、上司から発せられる「自分の頭で考えろ」は、自己矛盾に満ちている。人材育成、教育を考える立場の人は一度この言葉の矛盾を噛みしめるべきだと説く。
 
「近年、社会全体で与えられた課題を正確にこなすのではなく、能動的に自分の頭で考えて行動する大切さが言われています。これを受けて、教育や会社の人材育成のテーマとして『能動的な人材の教育、育成』が掲げられています。これも自己矛盾を起こしているんですけど、わかります?」
 
「能動的」は内発的な事柄なのに、育成は外発的な力で育てることを指している。
  
 同じように、「自分の頭で考えろ」は、自分でといいながら、「考えろ」と強制している。言われた子どもたちは、「言われたから」考え、大人たちは「考えさせる」ためにはどうしたらいいかに頭を悩ませている。
  
 考える習慣がない子どもたちに考えさせるようなシチュエーション、環境を用意するという意味での具体性を持った「考えさせる」は有効だが、「考えろ」「考えさせる」は、そもそもの出発点が外発的動機付けになっている時点で強烈な自己矛盾を持つことになる。
 
「外部環境や指導者によって行動が能動的に変化した人はいるでしょう。しかし、それは、そもそも本人が持っていた資質が引き出された結果とも言えるのです」
 
 世の中の価値観が大きく変わり、知識を詰め込む教養、教育ではなく、得た知識や状況を組み合わせて、自分で正解に近づいていくことが求められている。これに異を唱える人は少ないが、学校の先生にしてもスポーツ指導者、サッカーコーチ、両親も「教育とは外から与えられるもの」という従来の知識型の教育価値観で育ってきた世代だ。

「自分で考えられる子どもの方がいい」という正解はわかっていても、どうしたらそうなるのか? という方法論に、旧来の「外からのアプローチ」を持ちだしてしまうことも少なくない。
 
 その結果が、サッカーのグラウンドで「自分で考えろ!」と怒鳴るコーチを生んでいるのかもしれない。
  

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