いま注目のセレッソ大阪・柿谷曜一朗選手特集!! 1対1を制する超実戦的フェイントと少年時代の思い出

2013年08月22日

サッカーエンタメ最前線

周りの選手に刺激を受けたプロ生活

2006年にプロサッカー選手となった柿谷は1年目こそリーグ戦1試合にとどまったが、2007年に21試合、2008年に24試合と出場機会を増やし、着実に階段を上がっているかと思われた。ところが2009年、レヴィー・クルピ監督から度重なる遅刻癖を指摘されるなど、サッカーに臨む姿勢を問われ、最終的には徳島への期限付き移籍を余儀なくされる。本人も4年前の自分を振り返って「当たり前のことを当たり前にできなさすぎた。ホントにひどかった」と素直に反省の弁を口にする。

この夏から2年半、徳島で過ごし、2011年にはJ1昇格争いにも経験した。重圧のかかる戦いの渦中にいれば、チームの勝利のために身を粉にしなければならないことも多くなる。プロの真の厳しさを彼は実感したに違いない。古巣・セレッソ大阪から香川真司(現マンチェスター・ユナイテッド)、乾貴士(現フランクフルト)が大きく飛躍していく姿にも刺激を受けたことだろう。

「うまさや技術は真司君や乾君に負けているとは思わないけど、2人の何がすごいかって言えば、数字をあれだけ残して、ケガもせず試合に出続けて、90分走り続けられるところですよね。それは選手としての大きな武器。プロになればそういう仕事もこなさなければいけないと思います」(柿谷)

一度、外に出たことで、自分を温かく見守り、育ててくれたセレッソ大阪ファミリーの優しさや思いやりも実感した。

「もう一度、セレッソでやりたい」

そんな思いが彼の中でふつふつと湧き上がり、2012年にはついに古巣に復帰。逞しくなった成長した姿を見せてくれた。

最も付き合いの長い小菊コーチは柿谷の変化をこう評価する。

「10代の頃の曜一朗は『自分が楽しければいい』という気持ちが強かったと思うんです。でも昨季前半のウチには清武(弘嗣=現ニュルンベルク)やキム・ボギョン(現カーディフ)がいたし、戻ってきてもすぐ試合に出られる保証はなかった。正直、それが何カ月も続いたら耐えられないのではと心配もしていました。でも2~3カ月経っても真剣に練習に取り組むあいつの姿を見て『これなら大丈夫』と確信した。球際を激しくいく、セカンドボールへの反応、守備も練習から一生懸命やるようになったし、自分に足りない部分が何かをちゃんと理解したんだなと思いました。みんなは曜一朗を『遠回りした』と言いますけど、僕はそうは思わない。急激に伸びるゴールデンエイジというのは人それぞれ違う。10代の選手もいれば、20代、30代の人もいる、曜一朗は今からが急成長期なのかもしれません。これからも僕らスタッフみんなで一緒に愛情持って彼を育てていきたいです」
高橋コーチや風巻監督も思いは同じだ。今季からセレッソを象徴する背番号8を託されたのも、チームがいかに柿谷に大きな期待を寄せているかの表れといえる。

「森島さんとアキさん(西澤明訓氏)は僕にとって神。2人がセレッソの土台を作ってくれたから今がある。今年はプロ8年目でこれまでとは比べ物にならないほどしんどい1年になるだろうけど、森島さんたちみたいに尊敬されて、お手本になれるように頑張っていきたいです」

真のプロサッカー選手として、柿谷曜一朗は勝負の2013年シーズンに挑む。


 

<関連リンク>
『ジュニアサッカーを応援しよう!vol.27』
『ジュニアサッカーを応援しよう!vol.28』
【フットボールチャンネル】覚醒した天才・柿谷曜一朗。“セレッソの8番”が背負うエースとしての使命

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