「夢に向かうシンプルな生き方」を追求し続ける本田圭佑選手が歩んできた半生とは?

2014年06月07日

サッカーエンタメ最前線

家族のサポートを受け、プロへのチャレンジをスタート

 田中監督は圭佑少年の武勇伝を懐かしそうに振り返った。

 鴨川コーチも負けん気の強い小学生のプレーに少なからずインパクトを受けた。

 「田中先生から連絡を受けたのは圭佑が小6の1~2月で、すでにジュニアユースのセレクションが終わった後。普通なら断るところでしたけど、(田中監督が)『こんな時期なんやけど、根性があってパンチ力のあるキックを蹴れる、ええのがおるんや。ぜひ見てくれ』と言ってくるなんて、よほどのことだと思ってOKしました。すでに家長(昭博=現大宮アルディージャ)や松岡(康暢=元ガンバ大阪、現ジュニアコーチ)が入ることが決まっていて、ちょっと厳しいかなと思ったけど、プレーを見たら、サッカーをよく知っている頭のいい子やとすぐにわかりました。強引にドリブルで突破するとかじゃなく、周りを使ったり、引きつけてパスしたりと頭脳的な動きをする。センスがあるなと感じましたね。田中先生には何度か圭佑を連れてきてもらいましたけど、2回目のときに2学年上のミニゲームに入ってもらいました。そのとき、150センチ台だった圭佑は175センチくらいある先輩FWと競り合って、相手を吹っ飛ばしました。体幹の強さや腰周りの強さが物凄くあるなと感じたのをよく覚えています」

 こうしてJリーグのアカデミーに入ることが決まった。

 「ガンバのセレクションには200~300人は来たみたいですし、摂津FCの友達も受けたけど落とされました。僕が普通のセレクションもなしに入れたのは田中先生のおかげですね。本当に感謝しています」(本田)

 自らのサッカー人生が劇的に変わろうとしていた。

 99年春、通学区内にある摂津四中に入学した本田は、ガンバ大阪ジュニアユースに通い始めた。三つ上の弘幸さんは高校サッカーの名門・帝京高校へ進み、家を出て東京へ行ってしまった。幼い頃からつねに背中を見続けてきた兄と初めて離れ、本田はプロへのチャレンジを一人で本格的にスタートさせることになった。

 練習場のある大阪モノレールの万博記念公園駅は、自宅に近い南摂津駅から5駅。最初はごく普通にモノレールを利用していた。

 1~2カ月が経ち、ようやく学校にもクラブにも慣れてきた頃、父・司さんが息子の行動に物言いをつけてきた。

 「お前、なんでモノレールで行っとるんや。チャリンコで行くのもトレーニングやろ」

 本田にも意地がある。

 すぐさまモノレールを使うのをやめ、自転車でのクラブ通いに切り替えた。

 「ウチの親父はラクをしようという考え方が大嫌い。そういう気持ちを少しでも持っていたら絶対に許さへん。怒られるのはいつもメンタルのことでした。おじいちゃんも相変わらず厳しかった。ガンバの練習が終わって家に帰ると、晩酌に付き合いながら『お前は甘い』と怒られる。普通の中学生じゃないですよね。逃げ道なんかなかったし、いつも自分との戦いでした。Jのアカデミーに入ればお金もかかりますけど、親父は金銭面に関しては一度も口に出したことはなかった。文句ひとつ言わずに全面的にサポートしてくれましたね」

 厳しくもあり温かくもある家族のサポートを本田は成長へのエネルギーに変えた。

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