「夢に向かうシンプルな生き方」を追求し続ける本田圭佑選手が歩んできた半生とは?

2014年06月07日

サッカーエンタメ最前線

人生最大の挫折を経験

 鴨川コーチは本田の強い意欲を理解し、左サイドバックや左サイドハーフ、ボランチなどさまざまなポジションにトライさせた。読みの鋭い彼はどこをやっても無難にこなす。けれども、残念なことにスーパーな特徴がなかった。

 左サイドハーフではタテへの突破力で見劣りし、左サイドバックだとゴールラインまで駆け上がるスピードが足りない。ボランチをやっても反転も遅くてボールを奪われる。成長期が他の選手より遅く、心と体のバランスが崩れるクラムジーにも陥り、学年が上がるごとに本田の試合出場機会は少なくなっていった。

 中学2~3年のときにジュニアユースの指揮を執っていた島田監督は当時の本田について、こう話す。

 「圭佑は短い距離も長い距離も走るのは遅かった。体も小さくて、なかなかレギュラーとしては起用できなかった。3年生のときは1・5軍の位置づけでした。本人の負けたくない気持ちや向上心は普通のレベルを超越していましたし、そういうメンタルとスキルと判断力がないと大人になって世界レベルになれないというのは今になるとわかるんですが、その時点ではどうにもならない部分が確かにありました」

 ガンバとしても限られた精鋭しかユースに上げることはできない。クラブ側が家長や松岡を昇格させる傍らで、本田の昇格を見送った。

 中学3年生だった2001年の秋、この決定を通告された本田は、割り切れない思いを抱くしかなかった。

 「ユースにはアキを筆頭に同期の7人くらいが上がったんです。彼らの評価が俺よりよくて、自分自身はそう見てもらえなかったってことでしょう。確かに中1のとき『ユースに上がりたいか』を鴨川さんに聞かれて、俺とアキだけは手を挙げへんかったんです。アキも滝川第二とかに練習参加していましたし、迷う気持ちはあったんでしょう。まあ、ガンバがアキを手放すわけはなかったけれど(苦笑)。俺の場合は結局、外へ出ないといけない形になってしまった。そのことがすごく恥ずかしくてね。本田家では負けはありえへんことやから。ただ、僕自身は(ユース昇格見送りという)評価が合っているとは思わなかった」

 父・司さんも、このときばかりは言葉を発することなく、厳しい現実を一緒に受け止めたという。息子は父の愛情をひしひしと感じていた。

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