岡崎慎司の成長物語。「どこにでもいるサッカー少年」が本気でプロを目指すまで

2018年06月28日

育成/環境
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恩師との出会い

 嵩弘さんが小学4年生、弟・慎司が2年生になると同時に、兄弟揃って正式にチームの一員となった。そこで慎司少年が出会ったのが、多大なる影響を受けることになる恩師・山村コーチだ。

「山村さんは当時まだ大学生だったと思うんです。でもすごく個性的な指導者で、練習はシュートばっかりだった。ホントに半端ないくらい多かった。それに熱血で、頑張っていないとメッチャ怒られる。勝ってても気持ちを出さなかったら物凄く怒鳴られました。だからといって怖いわけじゃなくて、ユーモアもありました。

 シュートを失敗したら、僕らをバット代わりにしてジャイアントスイングで振り回したり、罰ゲームで好きな女の子を名前を大声で言わされたり、バレンタインデーに『俺はチョコレートをもらえませんでした』と朝礼台の上から発表させられたり……。すごく楽しかったですよ」と岡崎は当時を懐かしそうに振り返る。

 山村コーチにとって岡崎のいた学年は、指導者になって初めて受け持った子どもたちだった。彼はヤンマーの下部組織でプレーしていた元選手。高校時代のケガを機にプレーヤー人生を泣く泣く断念し、出身クラブの宝塚ジュニアで指導に携わるようになっていた。

 当時、山村コーチは大学在学中だったが、学業以上に子どもたちを教えることに情熱を傾けていた。サッカーはもちろんのこと、礼儀作法や挨拶を教えたり、食事をご馳走したり、自宅に呼んだり、坐禅に連れていったりと「仲のいいお兄ちゃん」として振る舞った。

 そんな親近感が子どもたちには心地よかったのだろう。そうはいっても、彼自身はかなり高いレベルでプレーした経験をもつ指導者。特にスキルの重要性は身に染みてわかっていた。

「やっぱりサッカーはスキルでしょう。慎司たちにも3割くらいはボールを止める、蹴るの基礎をやらせていました。学校が休みの土日なんか、朝9時から夕方4時まで練習していたこともしょっちゅうでした。リフティングやインサイド、アウトサイドのコントロールとかを2時間くらい徹底的にさせて、その後はずっとゲームとかね。

 慎司はチームの中では3、4番目の選手でしたが、TVゲームも好きじゃないし、漫画も読まないから、ホントサッカーばっかり。いくら練習しても楽しそうにしていました。それにあいつは天然ボケのところがあるから、敵を作らないし、誰からも好かれる。

 僕の家に来たときなんかも、勝手に冷蔵庫空けてお茶飲んでいたくらい物怖じしないところもありました。そういう微笑ましいキャラクターはホントに大きな長所。宝塚の頃もみんなと仲良くワイワイやっていましたね」

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